鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

ベッカー高原の戦車戦  1982年レバノン侵攻

イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 地中海に面する国、レバノン。古代海洋交易民族フェニキア人の故地で風光明媚な土地でした。国土を南北に縦断する二つの山脈(西側レバノン山脈、東側アンチレバノン山脈)はともに最大標高2000m級の山々です。地中海沿岸地域はシドン、ティルスなどフェニキアの古代都市が栄え現在の首都ベイルートもここにあります。
 
 アンチレバノン山脈の稜線がシリアとの国境を成しており、レバノン山脈との間のベッカー盆地(ベッカー高原)は海岸地方に比べると道路も整備されておらず機甲部隊の行動には不便でした。レバノンは南部国境を接するイスラエルに対しては守りやすい地形だったと言えます。
 
 人口は2009年現在で420万あまり。もともと平和だった国が何故戦争に巻き込まれたのでしょうか?それにはレバノンが抱える歴史的な事情がありました。レバノンキリスト教徒が多い国です。狭義のレバノンとはフェニキア起源の諸都市が存在する沿岸部のみを指しました。ところがフランスがこの地を植民地化するに当たってベッカー高原アンチレバノン山脈を含む大レバノンを一つの地域として纏めます。
 
 フランスによって人工的に国境線が引かれたためにもともと様々な民族対立、矛盾を抱えていたといえるでしょう。キリスト教徒内部でも対立がありましたし、イスラム教徒もいましたから国内は収拾がつかない状態でした。
 
 戦後独立を果たしてもこの矛盾は続き、隣国シリアの介入を招きます。しかも当然軍隊は弱く南レバノン無政府状態パレスチナ難民、そしてパレスチナゲリラが入り込み中央政府の統制が届かない地域となりました。
 
 
 国内の対立から内戦が発生する中PLO(パレスチナ解放機構)が入り込み、事実上レバノン南部をさながら独立国のように支配し始めます。PLOはここからイスラエル国内に対してロケット攻撃を繰り返しイスラエル政府をいらだたせます。
 
 1976年5月、無政府状態に陥っていたレバノンに対しシリアがついに武力侵攻を開始しました。シリア軍はしかしイスラエルへの敵対意識からPLOのテロ活動を黙認します。イスラエルレバノン内戦の当事者キリスト教勢力の一部を後援していましたから、両者の激突は時間の問題となって行きました。
 
 
 こうして1982年6月6日のイスラエル軍武力侵攻となるのです。この作戦は「ガリラヤ平和作戦」と名付けられました。
 
 
 両軍の兵力はまず、平和維持軍と名乗った事実上の占領軍であるシリア軍が戦車1個旅団、歩兵2個旅団を基幹とする約3万の地上軍。そのほか国境線沿いに戦車1個旅団が控えました。在レバノンのシリア軍戦車総数は約300両。PLOも総数は不明ながら(15000くらいか?)各地に旅団規模の部隊を配置し130ミリ、155ミリの野砲、122ミリカチューシャロケット、旧式ながらソ連T-34戦車100両を含む侮れない兵力を有していました。特にソ連から供与(シリア経由?)されていた対戦車ロケット、対空火器はイスラエル軍にとっても脅威でした。
 
 一方イスラエル軍は、沿岸を進む西部部隊、レバノン山脈沿いの山手を進む中央部隊、内陸のベッカー高原を進む東部部隊に分かれて侵攻しました。ともに機甲旅団を主力とする部隊でした。
 
 
 各地で空中戦を含む激戦が続く中、この記事で取りあげるのは東部戦線ベッカー高原の戦いです。イスラエルの資料でも戦略秘匿の意味があったのかどの部隊が進出したのか分かりませんでしたが機甲1個旅団を主力とする部隊だった事は間違いありません。
 
 シリア軍の対戦兵力は分かっています。第91機甲旅団、第62旅団の一部、第51旅団。シリア軍はイスラエル機甲部隊を迎撃するためここに700両の戦車を終結させます。イスラエル軍は新鋭の国産メルカバ戦車を初めてこの戦闘で投入しました。
 
 一応軍事系記事なので、何故ベッカー高原で戦車戦が発生したか考察を加えます。まずイスラエル軍の採るべき戦術として道路網が整備され機甲部隊の進撃に有利な沿岸地方を中心に電撃的に侵攻してベイルートを制圧するという選択肢もあったはず。ベッカー高原との連絡はレバノン山脈が邪魔するので抑え程度の兵力で良かったのではと愚考しました。
 
 しかし地図を見て謎が氷解します。まずベッカー高原南部はPLOテロ活動の根拠地の一つだったのでこれを叩く必要があった。ベッカー高原のシリア軍を放置すると沿岸部をいくらイスラエル軍が制圧しても補給路として残すため戦闘が長期化する恐れがあった。ベッカー高原を制圧することでシリア本土からの援軍を北周りで大きく迂回させる事が出来る。という理由でしょうか。
 
 
シリア軍の主力はソ連製のT-72.。125mm滑腔砲を装備し複合装甲を採用した当時ソ連自慢の戦車でした。いくらモンキーモデルとはいえ105mm砲しか装備していないイスラエル軍戦車によもや後れをとるとはだれも思っていませんでした。
 
 ところがメルカバは、イスラエルがこれまでの戦訓を取り入れ開発した戦車で複合装甲はもちろんのことエンジンを車体前面に置き人命を最優先にしていました。105mmライフル砲とは言いながらAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)と主砲の高い命中率にイスラエル陸軍は絶対の自信を持っていました。
 
 ベッカー高原では、両軍合わせて1000両にも及ぶ大戦車戦が繰り広げられます。結果はイスラエル陸軍の圧勝。命中精度、砲の威力でシリア軍のT-72は全く太刀打ちできず完敗しました。この戦闘でイスラエルメルカバ戦車への評価が鰻上りに高くなったのと対照的に、ソ連T-72の評価は地に落ちました。
 
 ソ連から東側諸国の離反が続いたのには、この戦いで明らかになったソ連の軍事力に対する不安も大きな要素だったと思います。後年湾岸戦争でもT-72は西側戦車に一方的にやられましたからソ連崩壊の原因の一つには戦車の能力不足もあったのでしょう。
 
 近代戦では、空軍の制空権を巡る戦いも重要でベッカー高原上空ではイスラエル、シリア両空軍による熾烈な空中戦が展開されます。(以前記事にしましたね♪)
 
 
 ゲリラには苦しめられても、正規軍同士の戦闘ではアラブ側はイスラエルの敵でない事がレバノン侵攻でもはっきりしました。
 
 イスラエル軍は、シリア軍とPLOの抵抗を排除し6月13日には早くも西ベイルートに突入。シリア軍とPLOを包囲しました。イスラエル軍は国際非難を受けながらもこれを無視し、ベイルート包囲を続けます。
 
 国際社会の圧力でようやく8月21日停戦が成立、PLOチュニジアに撤退することになりました。
 
 
 ただこの戦いで平和が戻る事はなく、現在でもイスラエルを巡る紛争は続いています。