1941年、西部戦線に突如デビューした新型戦闘機Fw190は一時連合軍をパニックに陥れました。しかし空冷エンジンの特性で高度6000mを超えるとガクンと出力が落ちることから連合軍は高高度から侵入することによってFw190の猛威を封じ込めようとします。
ドイツ空軍もその弱点は分かっており、フォッケウルフ社と対策を協議するなかでいくつかの解決策をまとめました。
一つはBMW801エンジン自体を強化するという案。これは思ったほどのパワーアップが望めないという事で早々に断念しました。
結局、空冷エンジンであるBMW801では高高度性能に限界があるという事で、高高度でもそれほど出力の落ちない液冷エンジンに換装する事となりました。
エンジン選定の過程でダイムラーベンツDB603(離昇出力1750hp)、ユンカースJumo213(離昇出力1750hp)の二つが候補に上がりそれぞれ試作されます。
このなかでDB603搭載型はFw190Cとして開発され、高度7000mで724km/hという驚異的な高速を記録しました。しかし空軍は、C型の上昇限度であった12200mに満足せず13700mまで上昇できるように改修せよという無茶な命令を出します。
フォッケウルフ社は、これ以上上昇限度を高めるためには従来のスーパーチャージャー(機械式過給機)では無理で、ターボチャージャー(排気タービン)を装備しなければ不可能であり、空軍の求める納期に間に合わせる事は難しいと判断します。それでも空軍は開発を強行させました。しかしやはりターボチャージャーの性能が思わしくなくトラブルが頻発します。
結局本命視されていたC型は、1943年秋開発中止されました。
一方、Jumo213搭載型はD型と呼ばれます。C型の保険であったため開発が遅れていた同機でしたが、あちらが駄目になったため急きょ本腰を入れられるようになりました。
ところで空冷エンジンと液冷エンジンはどこが違うかわかりますか?混合気の爆発でシリンダー内のピストンを動かし動力を得るのですが、その過熱が問題になってくるんです。空冷と液冷は過熱したシリンダーを冷却する仕組みの違いです。
空冷というのは、文字通り空気で冷やす方式でカウリング前面から外気を取り入れて冷やします。ですから空冷エンジンは冷却効率を高めるために正面から見てシリンダーが放射状になります。複列の場合も前後のシリンダー配列はずらすのが通常です。ちょうど星のように見えることから星型エンジンと呼ばれます。
一方、液冷エンジンはシリンダーを密閉空間に閉じ込め水またはエチルグリコール液を循環させて冷却します。
それぞれ一長一短があるのですが、液冷エンジンの方が正面面積を狭く出来ることから高速を要求される戦闘機には空力的に有利で多くの戦闘機で液冷エンジンが採用されました。
一般的に空冷か液冷かの見分け方は、機体正面が丸かったら空冷、とがっていたら液冷と判断してほぼ大丈夫です。
ところが液冷であるはずのFw190Dは空冷のように丸い機首ですよね?これはC型もそうですが、フォッケウルフの主任設計技師クルト・タンクの工夫でした。
液冷エンジンは、水密構造内のシリンダーを液体で冷やす仕組みだと書きましたが、水密区画に導かれた液体は当然シリンダーの熱を奪う過程で過熱します。そこで高温になった冷却水をいったんポンプで出し、ラジエーター(放熱装置)に導いて冷やさなければなりません。冷やすためには当然外気を取り込まないといけませんが、 こうして冷ました冷却水を再び水密構造に導いてシリンダーを冷やすという循環を繰り返します。
しかしこれでは、空気抵抗が増して空冷とあまり変わらなくなってしまいます。そこでメッサーシュミットBf109やスーパーマリン・スピットファイア、ノースアメリカンP51マスタングなどでは、主翼の下にラジエータを配置して空力的に影響を受けない工夫をしました。
ところでFw190Dですが、タンク技師はエンジン下のラジエーターは論外、といって主翼下の配置は機体設計に時間がかかることから、いっそのことエンジンの前にラジエーターを配置する事を考えます。実はすでに爆撃機のJu88などで採用されていた方式でしたが、この方法だと従来の機体をエンジン回り以外ほとんど変更する必要が無いのです。
機首にラジエーターがある事で、そのまま外気で冷却水を冷やす事が出来ます。タンクは、環状ラジエーターを採用しました。こうして一見空冷に見える独特の形状を持った液冷エンジン戦闘機Fw190Dは完成する事となります。
ただ開発経緯から完成したのは1944年6月、あまりにも遅いデビューとなりました。高度6600mで685km/hという高速を発揮しましたが、すでに連合軍は700km/h台のP51マスタング、グリフォンスピットなどを登場させていました。
タンクは、時間的制限でD型の機体をあまりいじれなかった反省から、Jumo213エンジンに最適になるように機体を再設計しより高速化を図る案を空軍省に提案します。
空軍省はこれを了承し、タンクはTa152を完成させました。機体名称がFwからTaに変わったのは、ドイツ空軍がクルト・タンクの今までの功績を認め、それに敬意を表するため彼の名前を冠することにしたのでした。
190から152に減っているのは、タンク自身が設計した機体の順番でこうなったと伝えられます。
実用上昇限度15000m、最高速度750km/hというレシプロ機では究極ともいえる性能を発揮したTa152でしたが、運用開始が1945年1月とあまりにも遅く生産数も67機程度(150機という説もあり)ではほとんど活躍できませんでした。
しかもすでにメッサーシュミットMe262というジェット機の時代に突入していました。Ta152は離着陸時に弱点のあるMe262を基地上空で護衛するという本来の目的とはかけ離れた任務を強要された悲劇の機体でもあったのです。
【性能諸元】Ta152H‐1
全長:10.8m
全幅:14.5m
自重:3920kg
最大離陸重量:4800kg
最高速度:750km/h(高度12500m)
上昇限度:13500m+
航続距離:1500km
発動機:ユンカースJumo213E 離昇出力1750hp、水メタノール噴射時2050hp
武装:30㎜モーターカノン×1(機首)
20㎜機関砲×2