
前記事でモンゴル高原の興亡を描いて以来遊牧国家に対する興味が尽きません。かつてチンギス汗のもとで欧亜にまたがる大帝国を築いたモンゴル民族。スキタイに始まり最後の遊牧帝国と呼ばれたジュンガル部まで、遊牧民族は世界史の主役ではないにしても、常に重要な役割を果たしてきました。
では、最後の遊牧国家はいつ滅びたのか非常に興味を覚えたのが本記事を書いた理由です。
後にムガール帝国を建国するバーブルをその故郷のサマルカンドから叩き出したシャイバーニー・ハーンのシャイバーニー朝もウズベク族の王朝。ちなみに、シャイバーニー・ハーンはイラン高原に興ったサファビー朝の創始者シャー・イスマイル1世と戦い1510年敗死しています。シャイバーニーは首を斬られその頭蓋骨は金箔を塗られて杯になったそうです。どこかで聞いた話だな(苦笑)。
最初に、ウズベク3国の由来を見て見ましょう。
◇ヒヴァ・ハン国…シャイバーニー朝の一族、アラブ・シャーが建国。アラル海周辺が領土。
◇コーカンド・ハン国…3ハン国では一番東に位置する。フェルガナ盆地が中心。ウズベク族ではあるが君主は
チンギス汗の血をひかないミング部族から出ている。
これらはロシア帝国の東方侵略にともない次々と征服されていきました。それも19世紀といいますから近世の出来事です。
最初に餌食になったのは意外にも最も東に位置するコーカンド・ハン国でした。一時清国を圧迫するほど強大化したコーカンドでしたが、国内のキルギス人、カザフ人の反乱が絶えず国力が衰え隣国ブハラの傀儡国家になって弱体化していた所にロシアが目を付けたのでしょう。
コーカンドはイスラムの盟主であるオスマン帝国や、インドからアフガニスタンを窺っていた大英帝国と結んでロシアと対抗しようとしましたがロシアの近代的軍隊に完敗、1868年ロシアと保護条約を結び属国とされます。1876年にはロシア軍がコーカンドに入城、これを滅ぼしました。
かつて欧亜にまたがる大帝国を築き上げた遊牧国家の末路は哀れを誘いますね。しかも滅ぼしたのは昔モンゴル帝国によって征服され属国にされていたロシア人ですから。それにしてもライフルの発達には改めて驚かされます。
先込めのマスケット銃だったら、次弾装填の間に騎兵が殺到するチャンスもあったと思いますが、この頃には元込め銃が主流になっていましたから速射性で騎兵の突撃を防ぐ事ができましたし、一部にはより近代的なボルトアクションライフル(ドライゼ銃は1836年)さえ登場していました。もし接近できても白兵戦も銃剣があるため騎兵の優位は保てません。