最近、東洋史家宮脇淳子先生にはまっております。今読んでいるのは「世界史の中の満洲帝国」です。この本の書評については読了してからじっくり紹介するつもりですが、内容が濃すぎてなかなか終わらないのが玉に傷(笑)。
文庫本の小説なら2時間もかからない私が、なんと3日目(一日1時間読んで)という怖ろしさ!内容をじっくり理解し、関連の項目をネットなどで調べていくとどうしてもそれくらいかかるんです。もちろん平易な文章で書かれているのでさらっと読む人なら1日もかからないんでしょうが(苦笑)。
中国大陸の地形を見ると洛陽盆地より西の黄河上流は地形が険しく、開封より東の黄河下流は川底が高く土地は低く、しばしば氾濫し地下水も塩分を含んで生活に適さないため洛陽から開封までの黄河中流域、いわゆる中原に人が集まったのだそうです。
ちなみに東夷の夷は「低・底」と同じ意味で東の低地人を意味し、西戎の戎は「羊毛」の意味で西方の遊牧民を指しました。北狄の狄は「交易の易」の意味で行商人を指すが当時は洛陽北方山西地方の狩猟民のことだそうです。南蛮の蛮は「人」の意味で南方の焼畑農耕民のこと。
これら生活形態の異なった人々が集まったのが中原地方。彼らが交易を行うために作ったのが表意文字である漢字。
これら共通言語である漢字ネットワークに参加したものが(その出自はどうであれ)漢民族を形成したとされます。ですから交易ネットワークに参加する都市の住民だけが漢民族で、それ以外の周辺民族は異民族なのです。
なかなかユニークで鋭い考察ですね。たしかにこれなら春秋時代中原に陸渾の戎のような異民族が住んでいる謎がはっきりとします。私は後に移動してきたのかと思っていましたが、最初からいたと考える方が自然です。
宮脇先生は漢民族(中国人)とは文化上の観念にすぎないと喝破します。ですから漢字を学べばその時から漢民族だし、漢字を知らない労働者階級はたとえ中原に住んでいても後の時代まで夷狄扱いを受けていたようです。
この説はかなり本質を衝いていると思いますが皆さんはいかが思われますか?
黄河の渓谷に成立した中国古代都市が市場を原型としているという事実もこの説を補強していますね。ちなみに市場に入る時手数料として商品の10分の1を抜きとられましたが、これが税の起こりだそうです。手数料は市場の柱に掲げられたところから柱を意味する「祖」をもとに「租」の字が生まれたそうです。どうです、面白いでしょ?
古代国家は移民団を送りだし各地に新しい都市を建設しました。これが封建であって封の字は「方」「邦」と同音同義で地方を意味したそうです。
古くは邑(ゆう)、のちには県と呼ばれる地方都市には都から軍隊が送られ駐屯し、首都からやってきた交易商人を保護します。辺境では威令が行き届かないのでいくつかの邑をまとめて監督する軍司令官が派遣され、これが諸侯の起こりだそうです。
こういったコアな情報がどんどん出てくるんですからなかなか読むスピードが上がらないのも納得でしょ?(笑)
いやあ、良い本に出会えました♪