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島を絶対に守り抜く方法   ‐ 島嶼防衛作戦に関する駄文 ‐

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 なにか松村 劭(まつむら つとむ)か兵頭 二十八(ひょうどう にそはち)あたりが書きそうなタイトルですが(爆)、丁度砲兵関係を調べていて沖縄戦でどれくらい防衛兵力がいれば長期間持ち堪えられるか?(決して勝利ではない)を考えていたんです。
 
 1945年3月から始まる沖縄攻防戦での米軍の兵力は海兵3個師団を含む8個師団、艦艇1500隻、輸送船450隻を超える第58任務部隊(空母12隻!)、第59任務部隊を中心とした海軍の大部隊。
 
 一方、史実での日本軍守備隊は第32軍(軍司令官:牛島満中将)隷下の第24師団、第62師団、独立混成第44旅団と数個の独立野戦重砲連隊と大隊、戦車第27連隊。海軍沖縄方面根拠地隊。沖縄学徒隊も含めて総兵力11万4千。
 
 史実でも400門以上の火砲を集中し3カ月近く米軍を釘付けにした戦闘は立派であるとともに皇軍将兵と沖縄の軍属、民間人の皆さんに対し敬意を表する次第です。
 
 
 ただ32軍高級参謀八原博通大佐の作戦計画は、1944年当時の32軍の兵力3個師団の他に2個師団を増援し5個師団を持って米軍上陸部隊を要撃し撃退するというものでした。
 
 ところが大本営は、台湾の喪失は大陸の友軍に深刻な補給上の危機をもたらすという理由で沖縄より台湾防衛を重視し32軍から虎の子の精鋭第9師団を抽出するという決定を行います。代わりに第84師団を沖縄に増援するという話も途中でたち消えになり、仕方なく第32軍は限られた兵力で持久戦術を取らざるを得なくなりました。
 
 
 こういう泥縄式の決定はサイパンでもフィリピンでも同じように繰り返されてきました。戦争を遂行するグランドデザインが無く行き当たりばったりの作戦指導の結果ですが、この愚行で犠牲になった皇軍将兵の事を思うと怒りがこみ上げてきます。そもそも満州を除く大陸に30個師団近くも無駄な兵力があること自体、戦略戦術上の致命的なミスでしょう。
 
 歴史的に資源も無く人口だけが無駄に多い中国大陸は、モンゴル帝国の時代ならいざ知らず占領しても割に合うところではありません。支那事変の行き詰まりを打開するために日米開戦をするという本末転倒ぶりがそもそもの大間違いなんですが、最終的には負けるにしてももっと上手な負け方があったはずだと思ってしまいます。
 
 事ここに至っては支那との単独講和は望むべくもないので、現実的に可能な沖縄防衛作戦を考えて見たいと思います(前置きが非常に長くなって申し訳ない 汗)。
 
 
 まず広大な台湾は3個師団が5個師団に増えてもとても守りきれるものではありません。比島決戦が良い例です。結局最後は山岳地帯に籠って持久戦法を取らざるを得ないとしたらそれまでの間に消耗する兵力が無駄になります。
 
 とすれば第9師団を増援しても焼け石に水です。ですからこれは沖縄に残ってもらいます。そして大本営が増援を約束した第84師団(寄せ集めですが無いよりはまし)と、史実では満州から台湾に派遣された第12師団を沖縄に持ってくる。これで八原参謀の意図した5個師団体制ができます。それ以外の兵力は史実通りだとしたら精鋭第9師団、第12師団を中心にした強力な防衛体制が出来上がります。実戦経験のない第24師団、第62師団でさえあれだけ戦えたんです。上海事変以来大陸で鍛えられた2個師団があったらどれほど心強いか!
 
 
 ここまで読んでこられて、「でも米軍の物量の前にはそれこそ焼け石に水ではないか?」と思われた方もいるでしょう。でも実はそうでもないんです。意外と知られていない事実ですが、タラワ島の戦いでは一度米軍の上陸部隊を撃退しているんです。
 
 攻者3倍の法則(攻めるものは守る者の3倍の兵力が必要とされる)というものがありますが、タラワでは過剰なほどの火砲を集め水際撃退に成功しました。
 
 物量を誇る米軍も流石に無限の兵力を持っているわけではありません。事実沖縄戦でも上陸の第一陣は海兵隊を含む4個師団だけでした。ノルマンディでは数十個師団投入したではないか?と反論される方もいるでしょうがあれはドーバーという狭い海峡だったからできた事。
 
 大軍を長距離を輸送するには、LST(戦車揚陸艦)も輸送船も上陸用舟艇もとても数が足りません。当時の米軍の太平洋における輸送船の数を完全に調べてたわけではないので偉そうなことは言えませんが、せいぜい10個師団くらいが一度に上陸できる限界だったのではありませんか?
 
 しかも10個師団も一度に上陸させれば補給も続きませんよ。狭い沖縄本島ではせいぜい8個師団くらいがリミットでしょう。一応仮定で上陸部隊8個師団、増援4個師団くらいだとします。
 
 一方日本軍は、5個師団、1個独立混成旅団と海軍沖縄根拠地隊。これに沖縄列島各地にばら撒いていてどうせ遊兵と化していた混成旅団を3つほど沖縄本島に持ってきます。これで実質7個師団強の歩兵戦力と数個独立重砲連隊を有する強力な防衛体制が確立しました。
 
 戦車連隊はいらないから、これは台湾に持って行っても可(苦笑)。どうせチハ改か一式装備でしょうから。一式砲戦車があるなら残って欲しい!(爆)
 
 
 早くから防衛体制を築き、主要防衛線には満州虎頭要塞のような厚さ5メートルの鉄筋コンクリートのトーチカを建設します。資材がない!などのまじレスはしないように(爆)。資材なんてのはかき集めれば何とかなるんですよ。気合いで集めろ!(怒)。
 
 連合軍最大口径の16インチ(40.6cm)の艦砲(アイオワ級など)の直撃にもこれなら耐えられるはず!意外と史実でも艦砲射撃では防衛陣地は破壊できないものなんです。ましてやこのコンクリートの要塞では!!
 
 ペリリュー島硫黄島のように、全砲の射線を上陸予想地点に合わせ、必殺のキルゾーンを設けます。できれば水際の機関銃座も速射砲陣地も必要以上にコンクリートを厚くしてサバイバルできるようにします。
 
 
 硫黄島以上の強力な火網を米軍に浴びせかけてやるのです。敵が上陸して橋頭保を築くか築かないあたりの絶妙なタイミングが理想でしょうね。大は二十四糎から小は37㎜速射砲まであらゆる火砲が一点集中して攻撃すれば敵に甚大な被害を与えるはず。夜になったら日本軍得意の夜襲を敢行!これで撃退できるはず。バンザイ突撃は厳禁。無駄に兵力を消耗するだけ。要は硫黄島の小笠原兵団方式を大規模に行うんです。擲弾筒も四〇糎噴進砲も集められるだけ集める必要がありますね。
 
 もちろん米軍は波状攻撃で次から次へと攻撃をかけてくるのでいつかは上陸を許してしまいますが、これで半年以上は時間を稼げます。ただ日本軍玉砕と引き換えに史実以上の損害を与え、米軍は日本本土上陸作戦を躊躇するかもしれません。
 
 沖縄の民間人被害を最小限に抑えるため、一般人は北に逃げるように指導すべきでしょうね。実際は沖縄県人の皆さんは日本軍を信頼していたため軍とともに南に逃げたわけですが…。
 
 
 まあ、原爆とソ連満州侵攻があるので長期間抵抗して果たして意味があるのかどうかという根本的疑問はありますが、沖縄戦だけに限定して考えればこれだけの事は出来た(はず)というのが私の考えです。
 
 
 
 反戦平和の偽善者の皆さんには総反発を喰らいそうな記事でしたが、図上演習とかシミュレーション(決してゲームではない!)は欧米では当たり前のように研究され語られているものですから。それは将来どのように選択すべきかという問いに対する答えでもあります。