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チンギス汗の遺産

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 ソロモンの栄華、バビロンの栄華など、歴史上巨万の富を築いた者は多くいます。モンゴル高原の一角から欧亜にまたがる大帝国を建国したチンギス汗の集めた富はどれほどか想像もつきません。
 中国、イスラム、欧州という当時の文明圏を征服し、略奪したのですから、おそらく天文学的な数字になったでしょう。
 しかし、意外なことにチンギス汗の墓がどこにあったか分かっていません。そればかりか子孫である元朝の皇帝の墓も不明だそうです。
 モンゴル人たちは、皇帝が死ぬと棺を地中深く埋め、その後を馬で踏みならすそうです。墓の上に矢を突き刺して垣をつくり、巡邏の騎卒がこれを守ります。そして草が生え周りと区別がつかなくなった時警戒が解かれるそうです。母羊をその場で殺し、子羊に場所を覚えさせ、毎年その羊の案内で場所を知るという伝説も何かの本で見た記憶があります。

 2004年、日本・モンゴル共同調査団がヘルレン川上流のチンギス汗の墓があると伝えられる山岳地帯で霊廟跡(アウラガ遺跡)を発見しました。「元史」によると「この霊廟から君主の墓までの距離は五里の外」と記述されているそうです。どれほどの財宝が眠っているのかわからない世紀の発見!になりそうです。
 ただ、現在は英雄の墓を暴くことに抵抗を感じるモンゴルの国民感情に配慮して調査は中断しているそうです。いつの日か世紀の発見が成される事を願うばかりです。