「今こそ知るべき過去がある」
そして、番組の締めくくりは、
「国の利益より自分たちが存在する組織の論理を優先したという事実。
これはまさに組織が持つ病理なのでありましょうか・・・」
しかし、
この言葉は公共放送で巨大組織のNHKにそっくりお返ししたい。
今回のテーマこそ改革の進まないNHKにそのまま返したい。
国民に自虐の歴史の押しつけより、まずは自分たちの腐りきった組織を見直す方が先ではないか。
さて、番組は第一次世界大戦の映像を流しながら次のように語りはじめました。
・・・
圧倒的な破壊と殺りく。遥かに後れをとる日本の現実に彼らは危機感を募らせました。
そして同志を募ります。会の名前は「一夕会(いっせきかい)」。
古い体質の陸軍を刷新するという改革の理念に共鳴した40人のエリートでした。
しかしその改革は思いもよらぬ結果を生みます。
中国の要人暗殺 (字幕で1928年 張作霖爆殺事件 河本大佐)
日中全面戦争の先端を開くこととなる事件 (1937年 盧溝橋事件 牟田口廉也)
そして、太平洋戦争の開戦 (1941年 太平洋戦争 東條英機)
合理的な改革を目指したはずの彼らはなぜ無謀な戦争に向かっていったのか。
戦争に至った暴走のメカニズムに迫ります。
・・・・
国家を戦争に導いた巨大組織陸軍というわけです。
しかし、NHKは「新しい資料で浮かびあがってきたもの」という割には自虐は変わらない。
真実への追究が全然足りないのです。
番組の進行役である松平は新しく浮かび上がったこととしてこう語りました。
「戦争への道を陸軍が一丸となって一糸乱れずまっしぐら突き進んだのではなくて、
いくつかの誤算が重なり合った上で戦争へ突き進んでしまったんだという(新しい)事実」
どうでしょうか。
この陸軍と戦争に対する先入観。 どうしても陸軍は悪いのだ。
戦後の歴史の上辺の出来ごとだけ見ればそうなるのでしょう。
しかし、歴史は上辺の出来ごとだけではなく、そうなる要因や原因があります。
さて、番組ではまずは一夕会を取り上げた。
「一夕会のエリートたちが無謀な戦争に向かわせた」と言う。
元々、明治以来、海軍は薩摩閥で陸軍は長州閥でした。
しかし海軍は海軍兵学校の試験問題が相当難しくなって、
各県から優秀な人材が多くなり薩摩閥は自然と消滅しました。
長州人は尉官クラスでも我が物顔で、肩で風を切っていました。
これが長州閥に対する反感となり、
長州閥に対して長州以外でも出世が出来るように一夕会が作られました。
しかしこれは東條と石原のように内部で対立が激しく、永田鉄山暗殺の相沢事件で終わりました。
この一夕会をもって無謀な戦争に向かわせたと言うには無理があります。
「過激な戦争観を持つ人物として知られていた」と紹介します。
そして、関東軍参謀の片倉衷の肉声を流しました。
「石原中佐は満州というものを確実に領有する、こういうことが国防にとって大事なことである。
この線を確保することによってソ連の侵略を止める。
それがひいては支那の安泰にもなる。
ところが当時支那では排日運動が激化してきた時期でありまして、
交渉によっていろんな問題をやっていくのは至難である。
これは武力を背景にした解決をせざるを得ない、と言う考えに到達したわけなんです」
この石原が考えた過激な構想がにわかに現実味を帯びます。・・・
さて、この片倉の肉声はもっともではないでしょうか。
NHKはこの肉声の中で「武力を背景にした解決をせざるを得ない」と言うところだけを抜き取って、
テレビの画面には「武力による満州の領有」という文字を出しました。
しかし、この肉声には「ソ連の侵略を止める」ためとあります。
そして「支那の排日暴動が激化」したともあります。
しかも「交渉」でこれら問題の解決は至難とも言っているのです。
なぜ前後を無視して「武力」にこだわるのか。
NHKの意図することはわかりやすい。
本来取り上げるべきは「武力」に至った経緯なのです。
満蒙の問題はいくつもありました。
これは米英の借款で満鉄平行線を敷き、葫蘆島に大きな港を造って
大連を枯渇させようと企んでいたのです。
しかも我が国は日露戦の後に満鉄を日露間の租借権譲渡だけではなく、
そこには満鉄平行線は禁止されていましたが、
支那はこういう条約を無視して日本の妨害をしていました。
また、日本人に土地を貸す者を迫害したり、日本の商品のみ不当に課税したり、
食糧を日本人だけに売らなかったり、日本人の子供達が支那人に意味もなく殴られたりしたことなど、
これらの事件は数千件もあったのです。
という実態を多くの日本の国民は知らなかった。
陸軍としてはこういうことも日本国民に知らせようとしました。
また武力解決というは石原が考えた構想ではありません。
自ら外相となって、さらには東方会議をも開きましたが、うまくゆかず、
満蒙はいくら話し合いをしても支那には通用しないとして、
「もはや武力でしか解決しない」と結論づけていました。
つまり石原の前からそういう考えがありました。
また「ソ連の侵略」。
日本は日露戦争後の最初の御前会議で
「陸軍はロシア、海軍はアメリカを敵国として軍備を整える」と決定していました。
これはロシアが対日復讐戦で満州奪還を国策にしていることを危惧してであり、
陸軍はこれに対して増師を願い出ましたが、
日露戦後は日本も平和となり、しかも戦争でお金も使い果たして、軍縮となりました。
それは以下のコミンテルンの指示が示す通りです。
これこそ侵略と言えるのではないでしょうか。
NHKは「新たな資料で浮かびあがってきたもの」と言う割には
中国の要人暗殺として1928年の張作霖爆殺事件は河本大佐の仕業と決めつけています。
キャップはナウム・エイチンゴンでありました。
エイチンゴンの指令を受けたメルニコフが張作霖の横にカバンを置いて隣の車両に移動した。
これを関東軍の儀我誠也少佐が目撃しています。この直後に爆破が起きました。
爆破は京奉線と満鉄線の交差している皇姑屯で起きましたが、
高速で走る列車のある特定の客車だけを爆破するのは相当に難しく現実的に不可能です。
しかも河本が仕掛けたという爆薬は上の線路に仕掛けたとされていますが、
張作霖の列車は下の線路を走っていたのです。
爆破された列車は屋根の上が爆破されており、
もし線路が爆破すれば下の車輪部も全壊しているがそうではありません。
写真が出た後、「上を通る満鉄線の橋梁下に爆薬が仕掛けられた」と言われましたが、
エイチンゴンは「橋梁や線路の爆破では張作霖に致命傷は与えられない」と言いました。
そして、自分たちが爆破に関係したと言い、
自分の功績や証拠として壊れた客車の写真を自分の回顧録に載せ、
自分がやったとはっきり証言しているのです。
それを中国語にして公表し、ロシア人を殺害していました。
GRUに指示してハルピンに作った組織と上海に作った組織の協力で、
日本軍の仕業に見せかける謀略をしていたのです。
・・・・・・
歴史。
いま、これほど日本人を歪めているものはありません。
多くの日本人はまだ気づいていません。
だからこそ歴史の書き換えが今必要なのです。
世界的にみても戦争や革命というのは
実際の軍事手段以上に諜報や謀略、工作を重要視するものです。
しかし、日本人の歴史観というは、
そういうことがないという前提で歴史を教えてきました。
この日本人の歴史観ではいつまでも真実は見えてきません。
日本人の素直さである疑うことをしない国民性に付け込んで日本人を貶めてきた歴史観。
今も共産主義は形を変えて日本に災いをなさんとしています。
嘘も工作も謀略も使えるものはすべて動員して相手を貶めて自国に利する。
このような国際社会の中で毅然と太刀打ちできる日本になるには、
歪められた歴史という謀略をはぎ取らねばなりません。
敗戦国には祖国を裏切る人間が生まれます。
これが歴史をも歪曲させるのです。
我々の祖国日本。
先祖が守り続けた日本は、
今もNHKによって歪曲された歴史で固められているのです。