
待ちに待った独ソ戦、もとい英ソ戦です。準備が整ったのは1942年夏。史実より一年遅れです。国境線に展開したわが軍は100個師団。
恐るべき大軍のようですが、実際にはとても足りません。少なくとも120~150個師団くらいないと広大なロシアでは包囲殲滅も機動防御もできず平押しに戦線を押し上げるしか手がなくなります。こういう平凡な戦闘は効率が悪いものです。
そこで私は、まずバルト三国をわが陣営に取り込みます。どうもこのプレイではモロトフ・リッペンドロップ協定が決裂に終わったらしく、そのおかげでバルト三国が生き残っていました。これでかなりソ連側に国境線を押し下げることができます。
さらにインド方面から北上し、中央アジアを窺う第二戦線の構築を図ります。そのための準備として1936年から地道にパキスタン北部のインフラ整備をやっていました。例のごとくインド人を大量に徴兵して中央アジア軍集団(30個師団)を編成します。
またトルコを連合国に入れることに成功。この方面はシリアに植民地を持っているフランスに任せることにしました。
こうして準備万端でソ連に宣戦布告。それと同時に各地の英軍部隊は進撃を開始しました。この頃は軍事ドクトリンの研究も進み指揮統制値76まで上昇しました。機甲打撃力の要である戦車も待ちに待ったコメット登場です。あと一段階でセンチュリオンに進化しますが、コメットも17ポンド砲(77㎜砲)装備、50km/hのなかなかの優秀戦車です。
30個師団で三方向から進撃したわが軍が、なんとソ連軍に押し返されたんです。こんなことはドイツ軍プレイではまず起こりません。同数の兵力なら負けないし、劣勢でも指揮統制値の高さで先に崩れるのはソ連軍の方でした。
実はこのゲーム補給ルールがシビアでして、あまりに補給線が長いと補充も補給も滞るようになるんです。それを防ぐためには港湾能力の高い都市を占領して海路から補給物資を送るしかありません。
ここで嬉しいニュースが。やっと連合軍のビッグボス、アメリカの大空軍祭り開催です(爆)。太平洋でがっぷり日本と四つに組んで戦っていながら、こんな遠方まで大量の空軍部隊を派遣できるんだから、当時のアメリカは現代よりもはるかに超大国だったんですね。
こうしてレニングラード攻防戦は、翌1943年春までもつれ込みますがなんとか勝利することができました。そのまま南下させた主力部隊によってモスクワも占領。しかし南方戦線ではまだキエフ占領さえできていません。
兵力の絶対数が足らないためです。しかし、嬉しい誤算もありました。同盟国トルコとともにコーカサス地方に攻め込んだフランス軍(50個師団規模)は、ソ連の生命線であるバクー油田占領に成功。そのままじわじわと北上しスターリングラードを射程にとらえました。
中央アジアを進むわが軍も無人の野を進むがごとくサマルカンド、ブハラなど中央アジアの重要都市を占領、西進します。数が少ないため1プロヴィンスあたり1~2個師団という薄氷ものの防衛線でしたが、ソ連がこの方面に対処できる余裕がなかったため問題ありませんでした。
そしてようやくキエフを落とし、クルスク、ハリコフと進みスターリングラードまで達した友軍とアストラハンでがっちりと握手することに成功。コーカサスポケットにソ連軍数十個師団を閉じ込めます。あとは補給の断たれた敵軍を掃討するのみ。
これは我が英国がこの戦争の決着をつけるしかないでしょう!次回、最終回対日戦御期待下さい!(笑)
(最終回につづく)