鳳山雑記帳はてなブログ

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第2次大戦末期のビルマ方面両軍兵力(自作)

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 いやあ疲れました(苦笑)。この図表を作成するのに時間がかかりました。陸軍のみ、航空兵力は略。
 
 これは第二次大戦末期におけるビルマ戦線の英印軍と日本軍の兵力比較表です。英印軍が12個師団+α(これにガラハット部隊【米軍】と米式中国軍【数個師団規模】が加わる)、対して日本軍が10個師団。
 
 彼我の兵力が拮抗している事に驚かれるでしょう。私も作成しながら意外でした。
 
 この兵力差なら、攻勢作戦に出ない限り終戦までビルマは持ちこたえられそうです。あえて言うならインパール作戦などという無謀をせず、史実では菊兵団(18師団)1個で守っていたフーコン谷方面に数個師団の増援を送って援蒋ルート遮断作戦(断作戦)を行った方が成功の確率は高そうに思えます。
 
 さらには龍兵団が雲南に進出する必要も無く、玉砕せずに済んだかもしれません。
 
 史家の指摘は妥当だったようですね。知ったかぶりの軍オタが「どちらにせよ在ビルマ兵力だけでは守り切れなかった。だからインパール作戦を行ったのだ」などと戯言をいってますが、これだけ兵力があれば防衛作戦は楽でしょう。英印軍はインパール作戦とは逆に6000m級のアラカン山系を越えチンドウィン川を渡河しなければいけませんからね。
 
 当然英印軍はそんな無謀な作戦は行いませんから、海上からの上陸作戦にだけ備えればいいでしょう。上陸を許しても敵は補給で苦しみそう(笑)。
 
 ビルマ失陥は、西方正面の第15軍がインパール作戦の失敗で消耗し突破を許したのが原因ですから。
 
 
 
 とここまで書いてきて、戦史に詳しくない方にはチンプンカンプンの記事になったことに気付きました(爆)。そんな人はいないと思うけど、もし興味を覚えた方はウィキの「インパール作戦」などを参考にしてね♪
 
 
 
 ちなみに兵(つわもの)兵団【第54師団】の最後の師団長が、私の大好きな名将、宮崎繁三郎(みやざき しげさぶろう)中将です!!!