興味のある方は全くいないと思います。某ブログで偉そうに2次大戦初頭での在比米アジア艦隊の兵力が軽巡1隻と駆逐艦数隻だけだったとコメントしながら実は間違っていたことが後に分かったためこうして記事にしてお詫びする次第であります。知ったかぶりしてごめんなさい(汗)。
アジア艦隊の旗艦はノーザンプトン級重巡5番艦のヒューストンですね。のちにABDA艦隊に参加しジャワ沖海戦で損傷したオマハ級軽巡マーブルヘッドを旗艦と勘違いしていました。あ~恥ずかしい(苦笑)。全部同時期に在籍したとすれば重巡1軽巡1駆逐艦5(たぶん、私のおぼろげながらの記憶なので資料が出てきたら修正あり。7隻だったような記憶も?)。
駆逐艦数隻ってのはまあ間違っていませんでした。スラバヤ沖海戦での米駆逐艦が5隻(ジョン・D・エドワーズ、ポール・ジョーンズ、ジョン・D・フォード、アルデン、ポープ)なのでこれがフィリピンから逃げ出したものだと思います。
そういえば比島攻略戦の間、日米の海戦が発生してないなと思ったらアジア艦隊は開戦と同時にオーストラリアに逃げだしてたみたいですね。情けない・・・というよりこの程度の兵力なら日本海軍の1個水雷戦隊で壊滅させられそうなくらい弱体なので賢明な判断だったのでしょう。
アメリカ極東航空軍は作戦機249機ながらまともなのはB-17重爆35、P-40戦闘機107くらいで、後は箸にも棒にもかからない旧式機だけなので日本の第11航空艦隊(作戦機308機、艦上戦闘機123、陸偵15、陸攻146、大偵24)で殲滅できますね。
アメリカ極東陸軍は米陸軍の正規師団がわずか1個(U.S. Philippine Division)だけであとは植民地部隊だから15万の兵力でもほとんど烏合の衆だったと思います。いかに当時の日本が舐められていたか分かる兵力ですが、我が皇軍はしっかりお返ししたのでよしとしましょう(苦笑)。
マッカーサーがまともに防衛戦をせずに早々に逃げ出したはずですよ。劣悪な植民地部隊という言葉がぴったりくる陣容です。
比島攻略戦で日本軍の兵力が意外に少なかったのをかねがね疑問に思っていたんですが、この程度なら十分だったのでしょう。しかし逆にこれで米軍の実力を見誤ったとしたら結果として良くなかったのかもしれませんね。