鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

忠犬クロとシベリア抑留

 いつもお世話になっている近野さんのブログで紹介されていた話です。あまりにも感動したためアマゾンで即注文しました。

 これは以前「奇跡体験アンビリバボー」でも放映されたそうなのでご存知の方もいらっしゃると思います。




 第2次大戦末期突如日ソ不可侵条約を破って満州になだれ込んだソ連軍。このため100万ともいわれる日本の軍人軍属がシベリアに連行され強制労働に従事させられるという非人道的な暴挙が行われました。

 多くの日本人が過酷な労働と貧しい食事で命を落とします。

 この物語は、そんな強制収容所の一つハバロフスクでの出来事です。


 ある時強制労働に従事していた日本人が、路傍に捨てられている一匹の牝の子犬を拾います。犬を飼うことは禁止なので、ソ連兵に見つかると捨てられるか殺されるかするはずでした。

 そのため日本人たちは秘かに、クロと名付けられた子犬を飼うことにしました。皆パン一切れだけという貧しい食事から少しずつクロに分け与えました。

 過酷な労働でくたくたになった人々も、宿舎で皆の帰りを待ちしっぽを振ってじゃれてくるクロを見るのが楽しみでした。いや生きがいだったのかもしれません。それで疲れが癒される気がしたのです。


 しかしある時クロはソ連兵に見つかってしまいました。ソ連兵は日本人たちに犬を捨ててくるように命じます。仕方なく人々はクロを5km離れたところに捨てに行きました。しかし何回捨てに行ってもクロは遠くからまた戻ってきてドアの前に立って吠えたそうです。

 ついにはソ連兵も根負けして、クロを黙認しました。


 捕虜たちは、厳しい生活の中で乏しい道具を作り野球を楽しみます。クロもこれに参加し、外野に飛んだボールを咥えて持ってくるので、いつしか「クロ野球」と呼ばれるようになりました。


 クロは捕虜たちの心情を理解した利口な犬でした。日本人にはなつくのに、ソ連兵にはけたたましく吠えかかったそうです。自分を捨てたロシア人と命を救ってくれた日本人をちゃんと理解していたのでしょう。


 クロの存在が日本人抑留者たちの唯一の救いでした。


 そんなクロと日本人たちの交流にも別れがやってきます。1956年日ソ共同宣言調印を機に残されていた最後の抑留者が日本に帰れることになりました。犬は連れて帰れない決まりでした。


 「優し人に飼われるんだぞ」「さようなら元気でいろよ」人々はクロの頭をなでて最後の別れを告げます。

 そして最後の帰還船「興安丸」がナホトカ港を出港しようとしていました。


 突如誰かが叫びます。
 「おい、クロだ!クロがいるぞ!!!」

 そうです。誰かが秘かに連れてきたのか、自分から付いてきたのか分かりませんが、岸壁に立って吠えているのは忘れもしないクロでした。


 クロは、海に飛び込んで船に向かって泳ぎだしました。

 「やめろクロ、死んでしまうぞ」極寒の海でした。「戻れー!戻ってくれー!!!」人々の叫びもむなしくクロはどんどん船に近づいてきます。

 誰かが船長のもとに駆け寄りました。「船を止めてくれ!クロが死んでしまう!!!!!」


 普通なら出港した船は止まれません。しかし船長は「分かった」といって船を止めてくれました。これは大英断と言ってもよい船長の決断でした。

 船員が急いで縄梯子で降りクロを保護します。甲板に挙げられたクロはぶるっと身震いしました。これを見ていた抑留者も船員も皆泣きました。


 そのままクロは抑留者とともに舞鶴に帰還します。クロは舞鶴の市長さんの家に引き取られその後5年生きたそうです。クロにとって舞鶴の生活は生涯で最良の日々だったのでしょう。その家でクロは自分とそっくりな黒い子犬を産みました。

 忠犬の子ということで貰い手が殺到しますが、その子犬はかつてクロを助けた船長さんに贈られました。


 シベリア抑留者でクロの事を知っている人は、後々まで懐かしく語ったそうです。苦しい生活の中でクロとの交流だけが唯一の生きがいだったのでしょう。


 クロの墓は舞鶴を見下ろす丘にあります。私もいつか訪れてみたいと思っています。