鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

ラボーチキンLa-5 戦闘機 (ソ連)

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 第2次大戦の戦闘機というと日米英独のものはすらすら出てくると思います。しかしイタリア・ソ連の戦闘機といわれるとピンとこない方も多いのではないでしょうか?
 
 戦記に詳しい方で日本の零戦のやられ役としてポリカルコフI-15、I-16。欧州戦線ファンの方でヤコブレフYak-9くらいでしょうか?
 
 このラボーチキンLa-5を知っている方はかなりの戦闘機ファンか戦史通かもしれません。なんか唐揚げみたいで美味しそうな名前でしょ?(爆)
 
 
 第2次大戦初頭、もともとソ連は日本とは逆に液冷エンジンの機体ばかりが多く、しかも性能はイマイチでした。スピードはそこそこあるものの操縦性最悪でパイロットから嫌われたMiG‐3など例をあげればきりがありません。よく設計者がスターリンに銃殺されなかったものだと感心しますが、寒冷気候のソ連では液冷エンジンは潤滑油や冷却水が凍ったりして運用に不便だったような気がします。
 
 通常空冷エンジンのほうが構造が単純で、日本でも空冷エンジンはそこそこ良いものができても液冷エンジンではついにまともなものはできませんでした。
 
 ソ連ではなぜ液冷エンジンの機体が多かったのか謎ですが、欧州機に液冷エンジンが主流だったのが理由かもしれません。流行に乗り遅れるなとばかり頑張ったのでしょう(爆)。
 
 
 La‐5の前身であるLaGG-3も例のごとく中途半端な性能の液冷機で半ばさじを投げられていた状態でした。ところがようやく1941年、優秀な空冷エンジン(シュベツォフ ASh-82)供給の目途がたちます。
 
 
 スターリンは、このエンジンをLaGG-3に搭載し、機体を再設計するよう命令しました。こうして誕生したのが本機です。もともと液冷機であったため改造は困難を極めましたが、誕生した機体は見違えるほど高性能になりました。
 
 La-5は1942年スターリングラード攻防戦から戦場に姿を現し、それまでのソ連軍機をはるかに凌ぐ空戦性能でドイツ空軍を苦しめます。とくに低高度での運動性ではドイツの誇るメッサーシュミットMe(Bf)109F型を上回り、多くのエースを誕生させました。1943年クルスクの戦いでも大量に投入されたLa‐5によって制空権を最後までドイツ空軍に譲らず、地上戦の勝利に大きく貢献しました。総生産数9920機。
 
 
 まあ地味ですが、イギリスで言ったらスピットファイアのような救国戦闘機だったのかもしれません。ちょっと褒めすぎか?(爆)
 
 
 
【性能諸元】La-5FN
 
発動機:シュベツォフM-82FN空冷複列星型14気筒1,700馬力
最大速度:648km/h
航続距離:765km
全高:2.54m
全幅:9.80m
全長:8.67m
自重:2,605kg
全備重量:3,402kg
実用上昇限度:11,000m
武装ShVAK20mm機関砲×2 爆弾:小型爆弾またはRS-82ロケット弾×6