鳳山雑記帳はてなブログ

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歴史群像アーカイブ『幕末戦史』

イメージ 1 画像が小さいものしかなくてごめんなさい。自分の買った本をデジカメで撮って取り込めば良かったんですが、面倒くさくて(笑)。
 
 
 これは当たりでした。私も幕末維新関係の本は相当読んだつもりですが、それでも目から鱗の情報が多くて有意義でした。
 
 幕末維新期に興味のある方なら、鳥羽伏見の戦い、上野彰義隊北越戦争会津征討戦、蝦夷共和国などにはある程度知識もあるでしょう。かくいう私もそうでした。
 
 しかし、この本ではさらに北関東での脱走幕府諸隊と薩長を中心とした官軍の戦闘、奥羽鎮撫府総督九条道孝が逃げ込み勤皇派に寝返った秋田藩にたいする庄内藩の懲罰戦争など類書でほとんど紹介しない戦闘が詳しく記されています。それだけで買いです。
 
 私が驚いたのは、もし庄内藩秋田藩を制圧し越後戦線にその精強な洋式歩兵を南下させていたら戊辰戦争の行方はどうなっていたか分からないところでした。新政府もそれが分かっていたからこそ、海路から官軍で一番精強な佐賀藩兵(近代装備でアームストロング砲の砲兵隊を持つ)を送り込み、なんとか撃退に成功したという歴史的事実を知ったところです。
 
 出羽庄内藩があれほど精強な洋式歩兵隊を持っていたことを初めて知りました。意外と奥羽諸藩も近代兵器は輸入していたみたいですが、それを有効に使う洋式訓練がなされていなかったためほとんど活躍できませんでしたが、庄内藩はその訓練までしていたのですから驚きです。
 
 秋田戦線という、戊辰戦争でもマイナーな戦場で庄内藩佐賀藩という近代装備の軍隊同士が激突したと思うと、歴史の奥深さに感心させられます。
 
 さらにこれは驚いたというより呆れた事ですが、奥羽越列藩同盟で本気で戦っていたのは会津・庄内・長岡の三藩のみで、仙台藩は伊達幕府樹立の野望のために、米沢藩はかつての所領越後奪回のためという不純な動機で戦っていたことでした。これでは初めから勝てるはずもありません。しかもこれらの藩は形勢が不利になるとさっさと官軍に寝返り会津や庄内を官軍の先鋒として攻めるんですから目も当てられません。伊達家ファンの方には申し訳ないですが、仙台藩は謀略は得意でも戦がからっきし駄目で、仲間内でもお荷物扱いだったとか?伊達政宗公が泣くぞ!
 
 尾張紀伊彦根が生き残るためにさっさと官軍に寝返った中、奥羽諸藩だけが幕府に殉じたというイメージはガラガラと崩れ去りました(苦笑)。仙台藩米沢藩という奥羽でも指折りの雄藩がそんな不純な動機で戦っちゃ駄目だろ?
 
 あと苦言を一言。北越戦争の地図が分かりにくかった!もっと全体図を載せてくれなきゃ戦場の位置関係がまったく分かりませんよ
 
 かろうじて分かったのは長岡城の南で、同じ信濃川東岸に榎峠朝日山(激戦地ですね!)、その下流が新潟ってことくらい。 長岡藩兵が長岡城奪回のために終結した栃尾(たしか長尾景虎が最初にいた城だよね?)ってどこにあるの?後でグーグル地図で見たら長岡市街地から東に行った盆地って分かったけど。
 
 このあたりちょっと不親切かも?ただ全体的には目新しい情報も多くて買って損はしない本だと思います。幕末維新史に興味のある方、ぜひお読みください!