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人生何が功を奏するか分からない話  ピョートル大帝編

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 ロシア絶対王政ツァーリズム)を確立した皇帝として史上名高いピョートル1世(1671年~1725年)。

 大酒飲みだったとか、髭禁止令を出して違反者の貴族を捕まえて自らハサミで髭を切ったとか、西洋視察の途中庶民に身をやつして船大工ピーターとしてロシアが注文した戦艦の建造に参加したとか愉快なエピソードが多い人物です。


 ピョートルが皇帝になったのは北方戦争勝利後で、それまではモスクワ大公を称していました。しかし彼の大公位継承はすんなりいったわけではありません。


 1682年異母兄フョードル3世の崩御を受けて即位したピョートルでしたが、大公位を巡るゴタゴタから実権を奪われ異母姉ソフィアが摂政に就任、彼は母とともにモスクワ郊外のプレオブラジェンスコエ村の離宮に押し込められてしまいます。

 運の悪い者なら、このまま何者かによって(真犯人はおそらくソフィアでしょうけど…)殺害、歴史の闇に葬られてしまったはずです。


 が、幼少のピョートルにはそんな大人の世界の陰謀など分からず、大好きな戦争ごっこに興じて野原を駆け回っていました。


 そのころ公室には先々代アレクセイ大公時代にあった3000羽の鷹、200名の鷹匠、6万頭の馬、600人の馬丁が、大公の死でみな失業してしまいました。


 ソフィアはほうっておけば公国の不安材料になりかねない彼らの再就職先としてピョートルの遊び係という職を作ります。要は体よく追っ払ったわけですが、何も知らないピョートルは大喜びでこれを迎え入れました。


 ピョートルにとっては遊びでしたが、遊戯係になった鷹匠や馬丁たちは、これを首になれば本当に路頭に迷うので必死でピョートルに仕えます。


 そのうち遊びはエスカレートして、よりリアルさを追求するためにモスクワの武器庫からマスケット銃や大砲を持ち出してくるようになりました。そして遊戯隊の中に遊戯隊司令部や遊戯隊経理部などという物々しい役職さえ設けられるようになります。


 極めつけはプレスブルグという攻城戦遊び用の模擬都市です。歴史上ここまで本格的に戦争ごっこを遊んだ者はいないと思います(苦笑)。



 が、遊びはいつしか遊びではなくなる時が来ます。ピョートルが成長するにつれ、戦争ごっこは本格的な軍事訓練になりました。摂政ソフィアが、子供の遊びだと舐めていた遊戯隊はしだいにピョートルの親衛隊と化していったのです。


 摂政ソフィアの独裁に反対する貴族勢力とピョートルが結び付いた時、遊戯隊は無言の圧力となってソフィアを脅えさせました。もともと彼女が作ったものだけに、後悔しても後悔しきれなかったでしょう。


 1689年、ソフィアはついに実権をピョートルに明け渡します。ピョートル18歳の時でした。


 ちなみにこの遊戯隊から、のちに多くのロシア軍の将軍、士官を輩出したそうです。人生、何が功を奏するか分かりませんね。しかもピョートルには深謀遠慮などなく、ただ好きな戦争ごっこをしていただけですから(笑)。