彼の実の姉であるオクタヴィア(紀元前69年 ~ 紀元前11年)もしかり。ところでオクタヴィアの名ですが異母姉にも同じ名前の女性がいるため、小オクタヴィア(Octavia Minor) と呼ばれ区別されています。
3枚目の写真は、米英合作ドラマ「ROME」に登場したオクタヴィア(ケリー・コンドン)ですが、実物は純粋なラテン民族だったため金髪ではなかったと思います。おそらく黒髪か栗色だったと想像します。赤毛でもなかったでしょう。
ちなみに余談ですが、ドラマでオクタヴィアを演じたケリー・コンドンはアイルランド出身で1983年生まれの現在27歳、なかなか綺麗な女優さんです。私もファンになりました(爆)。
大体この時代のローマを描いた映画・ドラマではオクタヴィア役は美人女優が演じることが多いですが、実物もかなり美人だったと伝えられています。貞淑な女性として同時代からも後世になってもローマ女性の美徳を表す人として尊敬されました。
が、肉親に権力者がいると女性の運命は安泰ではありません。紀元前54年にガイウス・クラウディウス・マルケッルス・ミノル(小マルケッルス)と15歳の時結婚しますが、夫が大伯父カエサルと敵対関係であったためカエサルに離婚を要請され、しかもあろうことかカエサルよりも年上で当時ローマの最高権力者だったポンペイウスと政略結婚させられそうになります。
この時はポンペイウスが断ったため婚姻は成立しませんでしたが、家の都合により翻弄される運命の彼女がいました。この夫との間には1男2女が生まれます。
その後カエサルの暗殺、実の弟オクタヴィアヌスの台頭と周囲はめまぐるしく変転しますが、またしても肉親によって彼女の運勢は動かされます。
オクタヴィアヌスは、姉に政敵アントニウスとの結婚を命じました。敵対関係を終わらせ同盟するためのまさに政略結婚でした。紀元前40年夫が死んでからわずか数カ月後、29歳のことです。
オクタヴィアは、弟と夫との仲を取り持つため献身的にアントニウスに尽くします。彼との間にも大アントニアと小アントニアの2女をもうけました。
しかし彼女の不幸は続きます。第2回3頭政治は崩れ、夫と弟が対決する新しい局面に入りました。アントニウスは妻をローマに残し、任地であるエジプトに赴きます。そこで女王クレオパトラに籠絡され愛人関係になり、クレオパトラとの間に1男1女をもうけました。
オクタヴィアは、紀元前35年夫アントニウスがパルティア遠征に失敗し、彼女に軍団を編成し派遣するよう要請し実際に彼女が送り出した後に、夫に一方的に離縁されます。
そしてアクティウムの海戦が起こります。この海戦で敗北しエジプトに逃れたアントニウスはクレオパトラとともに自害しました。アントニウスの死を聞かされたオクタヴィアの心境はどうだったのでしょうか?
弟オクタヴィアヌスは、ライバルであったアントニウスを倒したことでローマに敵なしの状態になります。そして紀元前27年帝政開始。
オクタヴィアにもようやく安らかな生活が戻りました。彼女はアントニウスとクレオパトラの忘れ形見であるヘリオス、セレネも引き取り育てます。セレネはのちにヌミディア王ユバ2世の妃になったそうです。
紀元前11年、姪の大ユリアが皇帝ティベリウスと結婚するのを見届けて没します。享年58歳。彼女の葬儀は国葬となりました。またコインにも彼女の横顔が使われたそうです。これは古代ローマにおいて女性がコインに刻まれた最初の例となりました。
ローマ一の美女、ローマの美徳を一身に備えた女性と称えられたオクタヴィアでしたが、その生涯は決して安らかではありませんでした。その意味では少々美しくなくとも(失礼!)平凡な一生を送ったほうが幸せかもしれませんね(笑)。