今週は有馬記念ウィークなので競馬関連の記事が多くなります(笑)。
オグリキャップはもともと公営笠松出身です。競馬に疎い方はご存じないかもしれませんが、中央競馬と比べ公営のレベルは低く地方自治体の運営のため賞金も少ないのです。そのなかで南関東と笠松、そして岩手県営は何頭かの中央でも通用する名馬を輩出しています。
1988年、中央競馬に4歳(旧表記)で移籍したオグリはデビュー戦のペガサスステークスで7馬身差の圧勝劇を演じ中央競馬ファンの度肝を抜きました。地方出身のオグリが中央のエリート馬を打ち負かすサクセスストーリに人々は自分たちの人生を、夢を重ねました。
快進撃を続けるオグリでしたが、クラシック登録をしていなかったため皐月賞、ダービー、菊花賞への出走は叶いませんでした。もし出走していたら、少なくとも一つひょっとすると三冠も夢ではなかかったかもしれません。
ところが南半球最高の名牝ホーリックスと当時世界レコードとなる高速決着で2着となり、負けはしましたが改めてオグリの強さが印象付けられました。
ただこのときの無理が祟り、6歳時は精彩を欠くこととなります。もう無理なんじゃないか?オグリは終わったんじゃないか?と言われラストランに選んだのは4歳時に勝ったことのある暮れのグランプリレース、有馬記念GⅠでした。
オグリは近走で惨敗続きだったため4番人気に甘んじました。しかし、ふたを開けてみると最後の直線、全盛期を彷彿させるかのような末脚でトップに立つと、当時売出し中の人気馬メジロライアンの猛追を振り切り一着でゴールインします。感動のラストランでした。
オグリが記録より記憶に残る馬といわれる所以です。オグリの本質はマイラーでした。しかし類稀なる勝負根性で距離を克服し大レースを制しました。生涯成績通算:32戦22勝(地方12戦10勝/中央20戦12勝)GⅠ4勝(有馬記念2回、安田記念、マイルチャンピオンシップ)。
*******************************************************************************************