マジノ線要塞とは、第一次大戦で本土にドイツ軍の侵入を許したフランスが再び攻め込まれないように独仏国境地帯に築いた長大な要塞線です。
1936年から工事ははじまり建造維持費合わせて300億フランの巨費を投じて建造されました。国境の丘陵上をすっぽり覆う要塞は、前方に戦車壕を設け、鉄条網と無数のトーチカが背後に控えます。稜線上には12僂ら30僂竜靄い砲塔内に収められ、要塞内の電気を賄うために発電所、地下にはこれらの陣地に弾薬や物資を補給する地下鉄が通っていました。
まさにフランスの国力と威信をかけた大要塞でしたが、実戦では活躍していません。
と言いますのも、ドイツ軍は防御の固い要塞線を通るのを避け、ベルギー国境に近いアルデンヌの森を突破したからです。
フランス側は、まさかアルデンヌの森は機甲部隊では突破できないだろうとたかをくくり、要塞をここまで延長していませんでした。予算の問題もあると思いますが。
ところが、ドイツ軍はやすやすとここを突破しフランス軍主力の籠るマジノ線要塞をスルーしてパリに向かいました。あわてて転身したフランス軍でしたが、間に合わずわずか1か月で降伏する羽目となります。
私はアルデンヌ突破不可能説は、フランス側の思い込みに過ぎないと考えます。といいますのも大戦末期にもほぼ同じ戦域でアルデンヌ攻勢(バルジの戦い)が行われたからです。
このときはパンターやティーガー兇里茲Δ並臉鐔藉釮砲呂覆った重戦車が通っていますが、別に行軍で困難だったという記録は見当たりません。
フランスはよく調べもしないで、イメージで語っていたのかもしれません。
と、散々ぼろくそに書いてますが私は要塞って結構好きです。拠点防御の方法としては悪くない選択だったと思います。ソ満国境にあった我が日本陸軍の虎頭要塞はそれなりに活躍しましたし、要塞の本場ソ連のセバストポリ要塞は強靭な防御力を発揮しました。
イギリスの香港やシンガポール要塞が割合あっさり陥落したのは兵の質の問題でしょう。植民地軍である英印軍から引っ張ってきた師団や、英連邦の誼で(無理やり)引っ張ってこられたやる気のないオーストラリア軍師団ですから。
が、労力の割にまったく活躍しなかったという点では、マジノ線は横綱級(何が?爆)でしょう。拠点じゃなくて線だしね(苦笑)。