盧溝橋事件、上海事変、南京攻略戦、徐州会戦など個々の戦闘は知っていても日中戦争(支那事変、日華事変と呼び名はいろいろありますが、ここではタイトル通り日中戦争とします)の全貌を知っている人は少ないと思います。かくいう私でさえ、真珠湾攻撃後の中国戦線となると援蒋ルート絡みの雲南の戦闘か大陸打通(一号)作戦くらいしか知りませんでした。
いろいろな歴史書を見ても真珠湾攻撃後は太平洋戦線が主戦場になり中国大陸の戦闘はほとんど紹介されません。しかも日本悪玉論がはびこり戦争の実態が見えにくくなっているのも事実でしょう。
筆者である三野さんもそのような不満を抱いていたらしく、誰でも思想的フィルターを外して日中戦争を理解できる本を書きたいという動機で執筆されたみたいです。三野正洋さんは、技術者上がりらしく具体的な数字を示して合理的に戦史を説明してくれる私の最も好きな作家さんの一人なので本書もそれを期待して購入しました。
そして期待にたがわぬ出来で満足しました。戦争の原因、経過、和平への努力など三野さんでなければ書けない内容だったと思います。なかでも私が最も衝撃を受けたのは9年間の戦争で年平均4万人以上の戦死者を出していたという事実です。さらに中国側にはその10倍以上の犠牲者が出ていたそうです。
陸軍はこのためにへとへととなり、軍備の近代化が遅れ旧式兵器で米英と闘わなければならなかった一方、海軍は対米戦を睨み初期の上海事変の4千名の犠牲者以外は被害を最小限に抑えることに努力し、それに成功したためにアメリカ軍相手にあれほど暴れまわられたという記述はなるほどと納得させられました。
また戦後中国が主張する三光作戦(殺しつくし、奪いつくし、犯しつくす)は、対米戦に全力を向けて大陸で戦略的持久体制に入っていた日本軍にはありえないという指摘は卓見だと思います。当時の支那派遣軍の総司令官岡村寧次は「殺すな、奪うな、犯すな」という訓令を出していたくらいですから。むしろこれを共産勢力に逆利用されたということでしょう。国際政治はこういう狡猾さで動いているんです。日本の外交宣伝力の無さは目を覆います。
三野氏は、南京事件の犠牲者も中国が年々増やしていっている事実を指摘して30万云々という犠牲者は事実に合わないと主張しています。軍規の乱れからいくつかの虐殺事件はあったかもしれないが、何十万という犠牲者を処分するには焼くにしても莫大なガソリンがいるし、埋葬したとしても死体が腐敗しその後伝染病が発生するはずだと述べています。当時の日本軍の貧しい経済事情を知る私としても十分納得できる話です。実際、攻略後南京では、伝染病も発生せずむしろ人口が増えているくらいですから。左翼連中はこれに対する合理的な説明をしてほしいものです。どうせ説明できないでしょうけど(嘲笑)。そんなにガソリンが有り余っていたら、日本は戦争に勝ってるでしょ?(苦笑)
それにしても本書を読んで考えさせられたのは、日中戦争は果たして意味のある戦争だったのか?ということです。日本の国力の限界と言われた50個師団を超える51個師団を動員して大陸に送り込み、占領できたのは点と線。南京攻略後和平のチャンスが何度もあったにもかかわらず、戦果に酔いしれそのたびに講和の条件を吊り上げ交渉を決裂させてきた政府と陸軍の無策ぶりは犯罪的だと思います。
あきれたのは、侵略戦争云々はともかくとして、戦争終結のための確固たる目標もなくずるずると戦線を拡大させていったことでした。首都の南京を攻略したら蒋介石は降伏するだろうという恐るべき楽観さには、ただ言葉を失います。
しかも戦争に勝っても大した資源もなく、むしろ膨大な中国人を養わないといけないとなると、そのために国庫が空になりそうです。当時の日本の状況を考えると満州の確保だけを考え大陸には介入せずひたすら国力の蓄積に努めるべきだったのではなかったかと改めて痛感させられました。
そしてこのことが重要ですが、中国と戦争しなければおそらく太平洋戦争は起こらなかっただろうということです。あるいはまったく別の形の戦争になっていただろうと想像させられます。
援蒋ルート遮断の必要がないためにビルマやインパールの悲劇は発生しなかったはずです。
国家の指導者は、国をどのように導いていくかという明確なビジョンを持たなければいけません。そしてその時々に正しい、あるいはより確実性のある選択をする。これなくしては指導者たる資格はありません。
しかし、そのような理想的指導者は歴史上なかなか現れないのも事実。私がそれを持っていたと評価するのは共和制時代のローマの指導者と、古代ギリシャのアテネの指導者ペリクレス、日本史では維新から明治にかけての元勲たち(欠点は多かったですが…)など数えるほどしかいません。
そして混迷の現代日本に、そのような指導者が登場してほしいと願っているのは私だけではないはずです。