鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

テンプル騎士団をめぐる謎

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 桐生操といえば私が愛読する好きな作家の一人(二人?)です。共にソルボンヌ・リヨン大学に留学し仏文学や歴史を専攻した女性二人の共同ペンネームです。ルネサンスを中心とした世界史を彩った人の伝記や、ヨーロッパの不思議な話を楽しませてくれます。
 そのなかに「ヨーロッパ謎と不思議の歴史辞典」という著書がありますが、非常に興味深い話が載っていました。歴史の範疇に入れるには、あまりにも不思議なのでこのカテゴリーで紹介します。

 皆さんはテンプル騎士団という組織をご存知ですか?知らない人のために簡単に紹介すると、
1096年、第一回十字軍の終了後、聖地エルサレム巡礼に向かう人々を保護する目的で、仏貴族ユーグ・ド・パイヤンによって設立。清貧・貞節服従をモットーに厳しい戒律で知られ、十字軍と共にたたかった騎士修道会です。ヨーロッパ中の支持を受け、最盛期には欧州中の貴族の子弟が入団し、その際寄進された金品、不動産で、その財力は王侯を凌ぐとまで言われました。
 国王に資金を貸し付け、今の銀行制度の基礎を築きますし、東方貿易によって莫大な富を保有するまでになっていました。こうなってくると、本来の目的を忘れ腐敗してきます。
 財政難に悩む時の仏王フィリップ4世は、この莫大な騎士団の富に目をつけます。教皇庁に圧力をかけ、一部の腐敗した団員を逮捕すると、「バフォメットという魔神を崇拝し、キリスト教を否定、公然と黒ミサを行い男色にふけっている。」と糾弾します。そして、1307年10月13日金曜日、フランス国内におけるすべてのテンプル騎士団の拠点を同時に急襲しました。
 匿名の証言を採用できるという「異端審問方式」を悪用し、拷問によって自白させます。すべての財産を没収し、1314年には4人の指導者を生きたまま火あぶりにし、処刑しました。

 こうして、フランスにおけるテンプル騎士団は滅ぶのですが、1885年、南仏ピレネー山麓にあるレンヌ・ル・シャトーという小さな村の教会にベランジェ・ソニエールという一人の司祭が赴任します。
 ある日、ソニエールは教会の祭壇を修復しようとして柱の内部から筒に入った2枚の羊皮紙を発見します。読み解くと「この財宝は、王タゴベール2世とシオンのものである。」と書かれていたそうです。
タゴベール2世とは7世紀のメロビング朝フランス王のこと。興味を抱いたソニエールは、つてをたどってパリの暗号の専門家を訪ねます。そのとき詩人マラルメや作曲家ドビュッシーなどの芸術家グループに紹介されました。彼らからどんな情報を得たのか分かりませんが、数年の後ソニエールは途方もない金持ちになったそうです。

 現代アメリカの歴史研究家ヘンリー・リンカーンは「エルサレムの秘宝・・・・?」という番組を制作。ソニエールがある秘密組織からヒントを得たのではないかと推測しました。その組織とは中世ピレネー山中に存在した血盟騎士団「シオン修道院」といわれる秘密結社で、テンプル騎士団の中核組織だったと推定されています。1307年、テンプル騎士団が壊滅させられた時、フィリップ4世は騎士団最大の拠点のひとつである「べズの秘宝」だけは見逃したそうです。そのべズが、実はレンヌ・ル・シャトーの近くにあったといわれていました。ソニエールはこの秘宝を発見して巨富を築いたのではないでしょうか?

 ところで、「シオン修道院」は今も秘かに存在しているそうです。彼らの教義は独特で、「キリストが西暦33年に処刑されたのは嘘で、実はフランスに逃れてメロビング朝の始祖になった。シオン修道院はメロビング朝をフランスの王位に復活させるのが目的で、軍事組織として12世紀テンプル騎士団を設立した。」というものです。どうです?にわかには信じがたい話なんですが、フランスの歴史の影に暗躍し、なんどかメロビング朝復活を画策したとか。団員には、有名な芸術家や政治家が加盟していたそうですが、実態は謎につつまれています。

 私鳳山には、判断する材料がないので不明なんですが、これを読んだ皆様があれこれ推理するのも面白いと思います。