鳳山雑記帳はてなブログ

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聖杯伝説とアルビジョワ十字軍

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 皆さんは、「聖杯」をご存知でしょうか?キリスト処刑のさい、その血をうけた杯で、所有者に永遠の命を約束すると伝えられるものです。映画「インディジョーンズ最期の聖戦」にでてきたもの、といえば思い出す人もいるでしょう。
 その聖杯を持つといわれた人々にたいして、中世フランスで大弾圧がおこなわれました。宗教という名
のもとに。

 人々の名は、カタリ派とよばれました。マニ教の流れを汲むキリスト教の異端で、善悪二元論、極端な禁欲主義、カトリック教会・王権の否定を教義とする人々でした。
 教皇庁やフランス王にとって、これは受け入れがたいものです。何度か教皇の提唱によりカタリ派の本拠地南仏地方に十字軍が派遣されました。
 カタリ派は、伝説の聖杯を所有するといわれていましたので、聖遺物探索に燃える騎士たちはこぞってこの十字軍に参加します。その最大で最後のものが、1226年、フランス王ルイ9世によって起こされた第3次アルビジョワ十字軍でした。
 
 3万にも及ぶ騎士・歩兵の大軍は、南仏ピレネー山脈東麓にあるカタリ派の本拠地を急襲しました。不意打ちでたいした抵抗もなく、十字軍は文字通り全住民を虐殺します。町や都市も徹底的に破壊され跡形もなくなりました。少なく見積もっても1万5千人にもおよぶ老若男女幼い子供までが無差別に殺されまくったそうです。

 聖杯を持っていたかどうか、キリスト教の異端であるかどうかに関係なく、ここまでする必要があったでしょうか。同じ時期、中東でも十字軍は現地住民の大虐殺を繰り返していたそうです。熱心なカトリック信者であった彼らこそ、実は狂信者ではなかったでしょうか。

 事実上、この戦いによってフランス王権が南仏まで及ぶようになります。熱心なカトリック信者で「聖王ルイ」と称えられたルイ9世でしたが、宗教的理由の裏に政治的動機があったような気がしてなりません。
 そして、聖杯の行方はとうとう分からず、本当に在ったのかどうかさえ不明でした。伝説は闇に消えたのです。