鳳山雑記帳はてなブログ

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漂泊の民「山窩」(さんか)の謎

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 皆さんは、「山窩」(さんか)と言う言葉を聞いたことがありますか?
 1950年代ころまで確認された、山中を漂泊し戸籍を持たず、定住せず、竹細工、蓑つくりを生業とし山の幸、川の幸で生活しているサンカと呼ばれる人々がいました。「ウメガイ」という両刃の山刀と「テンジン」と呼ばれる自在鉤、「ヤエガキ」といわれる厳しい掟をもった人々でした。

 サンカというのは、定住の民が名付けた蔑称で、彼らは独特の自称を持っているそうです。かつて柳田国男三角寛らが研究し、五木寛之は「風の王国」「戒厳令の夜」で題材としました。
 その起源については謎です。色んな説がありますが、「幕末・近世にかけての困窮民が山に入った」という説は否定されています。むしろその時期に山を降り定住した人々が出てきたと研究されています。

 柳田国男は、彼らは縄文人の末裔ではないかと考えました。稲作をもって弥生人が日本列島に進出してきた時、弥生人に屈するのを潔しとしない人々が山に入って独自の社会を作ったというのです。
 たしかに、彼らの使う文字は、偽書とされた古史古伝の上記(うえつふみ)にある豊国文字にそっくりだといいます。
 
 サンカは、平安時代の傀儡子とも同一視できるかもしれません。歴史的に敗者や異国人が参加していった可能性もあります。戦国時代の忍者もサンカであるといわれています。歴史上では、源義経、楠正成、豊臣秀吉徳川家康がサンカの血が入っていたと言われます。
 そういえば、家康の出自が被差別民であるサンカで、その秘密を記した巻物をめぐって争うという小説があったような。(柳生武芸帳だったかな?)

 サンカの人がみると、相手がサンカかどうか分かるそうです。T元首相もサンカ出身らしいです。現代にもサンカ出身の有名人は何人かいるそうです。しかし、その秘密をあばこうとする者は、闇から闇に葬られると言い伝えられています。

 こうして書いていくと、サンカの人々が異形の恐ろしい人々のように思えますが実態は違います。一揆をおこして被差別民におとされ僻地で困窮していた人々を助けたり、ライ病者として山に捨てられた人の世話をしたりもしたそうです。誇り高き、優しい人々だったと思います。
 大自然と一体となって生活する彼らこそ、真の自由人といえるのではないでしょうか?現在は、その存在は確認されていませんが、どこかで必ず生きているはずです。