いきなり、大げさなタイトルですが、日ごろ考えていることを書きます。
日本人と単純にひと括りしますが、周りの人達をみると、北方系のほりの深いアイヌに近い人もいれば、半島から渡ってきたツングース系のいわゆる天孫族といわれる人々。あるいは、雲南系を思わせる丸顔の奈良あたりにいそうな天平美人?南九州に多いポリネシアかクメール系の色黒の南方系の人々。それらのミックスでできているのが、いわゆる大和民族だと思います。
いろんな本からの寄せ集めの知識で、学術的なことは言えないのですが、あえて暴論をはかせていただくなら、もともと日本列島にいた氷河期に地続きだった大陸・樺太・北海道・本州にマンモスを追って渡ってきたアイヌ系の人々。次に南方から黒潮にのって漂着した海の民(熊襲、隼人の先祖?)。稲作をもたらした沖縄ルートの古代越人。雲南から中国江南をへて伝わった稲作をもたらした人達です。朝鮮半島ルートでも稲作は伝わったでしょう。そして、最後に朝鮮半島から渡ってきた夫余族。これが邪馬台国などを征服し大和朝廷になった天孫族だと思います。昔、江上波夫先生が書かれた「騎馬民族征服説」に書かれていた記憶があります。
いま、邪馬台国近畿説がいろんな遺跡の発掘から裏づけられつつありますが、あえて私は九州説をとります。北九州にあった「くに」の連合国家である邪馬台国。都はいまの大分県宇佐市。宇佐神宮が女王卑弥呼か、その後継者の壱与の墓だと考えます。全国八幡宮の発祥の地であり、奈良時代に弓削道鏡が天下を盗もうとしたとき和気清麻呂が神託を伺いに行ったところは、伊勢神宮ではなく宇佐神宮でした。この事実を考えたとき、古代宇佐の重要性が浮かび上がってくるのです。
いつのときか不明ですが、邪馬台国は東遷し今の大和盆地にうつります。国家そのものが遷ったのか、亡命政権が遷ったのか、第2の邪馬台国なるものが大和地方にできたのではないでしょうか。
東遷した理由も倭国大乱なのか隣国との戦争(たとえば投馬国)なのかはっきりわかりませんが。もしかしたら騎馬民族の侵入が原因かもしれません。
騎馬民族夫余族が九州に政権を樹立したことが、神話でいう天孫降臨なのかもしれません。それは、3~4世紀のことではなかったでしょうか。
事実、それ以前の遺跡と思われる有名な吉野ヶ里遺跡には馬にかんする遺物はなかった気がします。(私が訪れたかぎりでは。間違ってたらごめんなさい)
夫余族のリーダーである神武天皇は、東遷し豊かな大和盆地にのがれた邪馬台国を追って海路から機内に侵攻しました。中国地方には出雲や吉備といった強力な勢力がいて、陸路の侵攻は無理だったのでしょう。
こうして、ナガスネヒコ率いる邪馬台国勢力を滅ぼし、その故地に大和政権をうちたてたのが、初代神武天皇でした。ナガスネヒコは死なずに、いまの津軽地方に逃れたとの伝説があります。東日流(つがる)外三郡誌に書かれています。
大和政権は、機内を足がかりに出雲、吉備など強力な敵を、あるいは滅ぼし、あるいは懐柔し日本という国の領域を形作っていったのです。そして最後まで抵抗したのが東北蝦夷の勢力でした。ただし、彼らは今まで言われてきた未開の蛮族ではなく、十三湊などで交易もした独自の文化をもった誇り高き人々でありました。
壮大な歴史ロマン。日本国成立について私はこのように考えています。