鳳山雑記帳はてなブログ

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謎の仮面王国「三星堆」

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 皆さんは、三星堆という遺跡を聞いた事はありますか?
 三国志で有名な四川省成都から北へ50キロ、広漢市で最初に玉石器が見つかったのは1929年でした。この地に遺跡があるらしいという事は分かっていたのですが、1986年発見された大規模な2つの祭祀抗跡から400点もの青銅器がみつかり、俄然注目を集めました。
 問題はその時期です。年代測定では、いまから3500年前。黄河文明では商(殷)代後期にあたり、それとは別個の未知の文明がこの地に存在したという驚くべき発見です。
 
 四大文明と俗に言われますが、歴史教科書を書き換えないといけない時期が来ているのかもしれません。アマゾン川奥地でも文明の痕跡が見つかっていますし、マスターキートンで有名になったドナウ文明説もありうるかもしれないのです。

 写真を見てもらうとわかりますが、三星堆は独特の仮面をもった謎の「仮面王国」だといわれています。目が飛び出た「縦目仮面」は一度みたら忘れない強烈さを持っています。なぜこんな特異な仮面をつくったか謎なんですが、一つの説として、この蜀地方は一年の三分の二は霧に覆われ太陽を見ることができないので強い太陽信仰があり、縦目はその太陽の光をより受けるためだと言われます。
 
 ところで、東晋時代に蜀地方の歴史を書いた「華陽国志」という書物に、古代に存在した伝説の王「蚕叢(さんそう)」は、「その目縦目なり」という記述があります。それが三星堆遺跡を指していると推定されます。こうしてみると、古代に記された書物は何らかの事実に基づいているのかもしれません。
 また、伝説の西王母の国は、ここ三星堆ではなかったか?と推定する学者もいます。こうなるとロマンは広がりますよね。

 ところで、発見された青銅器はことごとく破壊され、焼かれていたそうです。これはなんらかの政権交代があったのではと推定されています。伝説の蜀王「杜宇」が成都からここに攻め寄せ文明を滅ぼしたという記述もあり、前政権の遺物を破壊することにより支配を固めたと考えられています。

 古代蜀王国(杜宇の末裔?)は、戦国時代、秦の侵略を受け滅亡します。それまでも黄河文明との交流はあったのですが、これによって蜀は中国の一部に組み込まれます。いつしか輝ける文明の記憶は忘れ去られ、20世紀に発見されるまで長い眠りについていたのです。まさに、歴史はロマンだと思います。