鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

古代出雲王朝の証明?

「人面土器」見つかる!島根県の築山遺跡
10月22日21時4分配信 産経新聞

 縄文時代晩期から弥生時代前期ごろ(2800年~2500年前)の目、鼻をくっきりさせた人面付き土器片が島根県出雲市の築山遺跡で見つかり、22日、同市文化財課が発表した。同様の土器は東日本での出土例は多いが、西日本ではまれ。弥生時代の黎明(れいめい)期、出雲地方が東日本と交流していたことを裏付ける貴重な史料という。
 出土した土器片は、縦、横とも約4センチ。形から器の縁に取り付けたと推測され、特徴ある鼻筋と鼻孔で顔面を表現している。同遺跡の深さ約1・5メートルから出土。同様の土器は栃木、茨城県などの再葬墓の共同墓地から出土しており、出雲地方ではこれまで2例が見つかっている。
 山田康弘・島根大准教授(考古学)は「稲作を中心に弥生文化は九州から東へ伝わったとされるが、東西交流で東日本からも影響を受けていたことが分かる。祖霊崇拝の原形と考えられる」としている。

- Yahoo!ニュースより転載 -

 松本清張の傑作推理小説に「砂の器」というものがあります。有名な作品なので読まれた方も多いと思いますが、その中で出雲弁が、周辺の地域と孤立して東北弁に近いズーズー弁だという事実が、事件解決の鍵になっていました。

 おそらく清張のことですから、なぜそのように出雲弁が孤立しているか答えを持っていたはずですが、「砂の器」のなかでははっきりとは紹介しませんでした。

 ここで私は、古代出雲王朝の広がりを想像します。考古学的裏づけがないので断定はできませんが出雲王朝は東北の縄文以来連綿と続いてきた文化(例えばアラハバキ文化)と同じ文化圏に属したのではないでしょうか?端的に言えば古代出雲王朝は東北地方まで広がる巨大な王朝であったと考えます。そして出雲王朝こそ縄文人の末裔達が築いた正当な王朝ではなかったかと。

 いずれ書こうと思っていたテーマですが、ちょうどこのニュースがあったので紹介しました。

 ところで、なぜ出雲弁は孤立しているんでしょうか?ズーズー弁縄文人たちの言葉とすれば、関西弁は弥生人の言葉かもしれません。大和朝廷の勢力拡大に伴って、日本海沿岸を中心に栄えていた出雲王朝、これが大げさなら出雲文化圏の人々の勢力圏を圧迫した。そしてついには王朝の首都であった出雲を囲むように分断し出雲弁が孤立するようになった。そうは考えられないでしょうか?

 大国主命の国譲り伝説は、そのことを象徴しています。大和朝廷に攻められ敗北したからこそ、出雲王朝の王である大国主命は国家の主権を譲り渡さなければいけなかったのでしょう。

 また九州王朝の王である神武天皇が、東征に中国地方の陸路ではなく、瀬戸内海の海路を選択しなければならなかったのも、出雲王朝やそれと同盟していたであろう吉備王朝が強力であったからかもしれません。大和盆地を制圧し、勢力を扶植して初めて、陸路による遠征が可能になったのでしょう。


 そのようなことを想像させてくれる面白いニュースでした。