

ロシアが強大化できたのは、当時バルト海の覇者であったスウェーデンを北方戦争(1700年~1721年)で破ったからです。富国強兵を目指し、海への出口、良港を確保する事はロシアの悲願でした。
トルコとの戦争が一段落したピョートルは、バルト海への出口を求めてスウェーデンに挑戦します。当時のスウェーデンはフィンランド・ドイツ北部、バルト3国に及ぶ広大な領土をもっていました。1700年9月エストニアの要衝ナルヴァをピョートルは兵力3万5千、大砲173門で攻めます。
ナルヴァ要塞の守備兵は市民の義勇兵を含めても1900名、陥落は時間の問題と見られていました。時のスウェーデン国王はカール12世、まだ18歳という若さでした。しかし幼少のころから神童の誉れ高かったカールは、ロシア軍迫るとの報告を受けるやいなや素早く行動します。
まずカールはロシアと同盟していたデンマークに電撃的に侵攻し、敵軍に痛撃をあたえ講和を結ばせます。そのまま海路エストニアに上陸したカールは、秘かにナルヴァ救援に向かいました。
実戦経験の浅いロシア軍は、自軍が圧倒的に有利な体勢にあったため弛緩しきっていました。しかも総指揮官のピョートルは、誤った情報を信じノブゴロドに移動している最中でした。
スウェーデン軍は2万に満たない寡兵でしたが、11月19日夕方、吹雪をついて攻囲のロシア軍陣地を急襲します。
油断しきっていたロシア軍はひとたまりもありませんでした。大軍であるためかえって混乱し、カールが中央突破を図ると四分五裂して壊走します。ロシア軍の損害は兵力8000、砲145門です。たいしてスウェーデン軍は損害3000弱。まさに壊滅的打撃でした。
このままカールがピョートルを追撃していれば、のちのロシア帝国は無かったかもしれません。しかし、ロシア軍のあまりの弱兵ぶりにカールはこれを侮ります。
そしてより強敵と判断したポーランドに軍を振り向けました。一時は滅亡を覚悟したピョートルでしたが、カールの歴史的判断ミスを生かし、軍隊を再建します。
スウェーデンとポーランドの戦いは6年にも及びました。この貴重な時間を最大限有効に利用したピョートルは、ポーランドを降したものの疲弊したスウェーデン軍に再度挑戦しました。
1709年、ポルタヴァの戦いで激戦の末、ついにピョートルは強敵スウェーデン軍を破ります。まさに不屈の人が、天才に勝った瞬間でした。
事実上この戦いで、バルト海帝国スウェーデンは終焉を迎え、新興国ロシアが列強への道を歩む事になります。