鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

古代中国伝説の怪物『蚩尤』(しゆう)の謎

イメージ 1

蚩尤(しゆう Chihyu)は中国神話の登場人物。天界の帝王である黄帝大戦争をした。獣身で銅の頭に鉄の額を持ち、また四目六臂で人の身体に牛の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。

砂や石や鉄を喰らい、超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、黄帝の座を奪うという野望を持っていた。同じ姿をした兄弟が80人くらいいたという。戦争にあっては、神農氏の時、乱を起こし、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風、雨、煙、霧などを巻き起こして黄帝と琢鹿の野に戦った。濃霧を起こして敵を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示し、遂にこれを捕え殺したといわれている。

                        - フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より -

 三皇五帝と呼ばれる伝説の古代中国の帝王たち。そのなかで黄帝漢民族の祖とも言われ中原を中心に漢民族の生活圏を定めた帝王だと言われています。
 
 その黄帝が、中原の支配権を賭けて戦ったのが蚩尤(しゆう)と呼ばれる怪物でした。魑魅魍魎の首領として天候を操るなどあらゆる妖術を駆使し黄帝を苦しめたそうです。『史記』「封禅書」では蚩尤は「兵主神」に相当するとされ、戦の神と考えられています。また戦争で必要となる戦斧、楯、弓矢等、全ての優れた武器(五兵)を発明したといいます。(同ウィキペディアより)


 あくまでも伝説に過ぎませんが、鳳山流に歴史を解釈すると滅ぼされた蚩尤の子孫が三苗族になったという言い伝えから南方系の種族ではなかったかと考えます。優れた武器=優れた文明と考えられますから黄帝の一族よりも進んだ文明をほこっていたのではないでしょうか?
 ここで、私が考えるのは長江文明の存在です。発掘調査から、この文明を担ったのは漢民族というより、古代越族やタイ族であったらしいと考えられています。
 越族はともかく、タイ族?と思われるでしょうが春秋時代、南方の大国だった楚はタイ族の建てた王朝でした。楚の故地は意外にも今の漢中地方です。春秋などの記述をみても中原の近くにも異民族の集落があったらしいのです。漢民族の勢力拡大で南方に追われ現在のタイや雲南少数民族になってしまったのです。

 そこから想像するに中原の支配者はこれら南方諸族だったのかもしれません。長江文明がなんらかの天変地異(大洪水など)で滅んで移住したか、分派したかだったのでしょう。そこへ西方から黄帝を長とする異民族が攻め込み滅ぼした、案外これが真相かもしれません。
 勝ったほうが正義ですから、滅ぼされた方が怪物として不当に貶められたのでしょう。黄帝が蚩尤を滅ぼすために使用した指南車というのが、それを暗示しているような気がします。

 中国大陸の歴史は、東西南北に興った民族が中原を支配し大陸の覇者になった歴史でした。「夏」は南方系、「商」は東方系、「周」は西方系です。三皇五帝時代も、これから類推すれば四方の民族の興亡史だったのでしょう。ちょうどメソポタミアの歴史と酷似しているのが不思議です。