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古代殷王朝滅亡の原因?

 夏王朝の後を受け、豊かな青銅器文明を開いた殷(商)王朝。
 史記などでは、暴虐な最後の王、紂王は、愛妾ダッキとともに、酒池肉林などの悪政と暴虐さによって、諸侯の信を失い、西方の諸侯を束ねて起った周の武王に滅ぼされたと言います。
 しかし、古代中国の中心、中原地方を占めていた強大な殷がなぜあっさりと滅んだのか?常々疑問に思っていたのですが、最近読んだ本でなるほどなと思いました。
 もともと、殷は今の山東、安徽北部のいわゆる東夷の諸族を糾合して夏王朝を倒し国家を樹立しました。そのために殷は西方、北方、南方は警戒しても、東方は同族の地ゆえ安心していた様子がみえます。
都も西・北・南に睨みを利かせられる河南省安陽という要地に都を築いたほどです。(殷墟)
 ところが、王朝末期には紂王が淮夷を討伐するため東方に遠征したとの記述があります。同族か近しい東夷までもが反抗するようになっていたのです。おそらくこの遠征で力を消耗していたからこそ、周にあっさりと滅ぼされたのではないかと、その本には書いてありました。確かに納得できます。
 周は、殷の遺族の力を恐れていたからこそ、各地の諸侯に分散して殷の遺民を配属しましたし、紂王の異母兄微子啓を宋に封じ、殷の移民を支配させたのです。
 春秋時代に強勢になった諸侯国晋の実力者、六卿のうち中行氏、知氏をだした荀氏はこの殷の遺臣の子孫らしいのです。
 それを考えると歴史って面白いですね。