陸軍はこの事態に際し、コストと時間の関係から三八式野砲を改良して射程距離を伸ばした改造三八式野砲を開発・量産する一方で新型野砲の導入に向けた動きを進めた。しかし残念ながら当時の日本には列強の新型野砲と同等のものを自力で開発できる技術がなかったため、新型野砲の開発は必然的に外国の技術に頼ることとなった。陸軍は外国に視察団を派遣し、新型野砲の設計を依頼することにした。この過程で注目を集めたのがフランスのシュナイダー社が提案した75mm野砲であった。
この75mm野砲は世界で始めて砲身後座方式を採用した75mm野砲M1897を発展させたもので、いくつかの新技術が取り入れられていた。陸軍はシュナイダー社と交渉を重ね、最終的にこの新型野砲の購入とそれに伴う新技術の取得で合意した。
陸軍は当初シュナイダー社製野砲の購入で得られた新技術を基に新型野砲を開発する予定であったが、技術的な観点や購入した野砲自体が優れていたことなどから、最終的にシュナイダー砲に改良を加えたものを九〇式野砲として導入することにした。改良の主なポイントはヨーロッパでの運用を前提にしているシュナイダー砲を、中国大陸での運用に適したものにすることであった。
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実質フランス製ですが、太平洋戦争における日本陸軍最良の野砲です。機動九〇式野砲は、車輪をタイヤ式にして車で牽引できるようにしたものです。
当時、重すぎると不評も出ましたが、軽くても威力の低い三八式野砲よりははるかにましでした。最大射程14000mは列強の主力野砲と同等かそれ以上で、徹甲弾で対戦車戦闘もこなす万能砲でした。
量産されれば、ソ連の傑作野砲M1942に近い働きをしたと思いますが、機械化の進んでいない日本陸軍では、軽量の三八式野砲や九五式野砲が好まれ威力は強くとも馬匹で牽引できない九〇式野砲は嫌われました。
ただ、機甲関係者には威力が認められ戦車師団の主力野砲として配備されます。一式砲戦車や三式中戦車にも搭載されました。その真価を発揮したのは大戦末期のフィリピン戦線においてでした。サクラサク峠の戦闘で、少数の一式砲戦車が米軍を悩ませた事は有名です。
願わくばこの砲を大量生産して欲しかった!ただ、そうするには車両牽引が大前提です。軍の機械化を推し進めなければならないので、貧乏国家の日本には、所詮ないものねだりだったのかもしれません。