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高速戦艦『金剛』級

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金剛(こんごう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦。2度の改装を経て高速戦艦に変身し、太平洋戦争でも活躍した。本艦は、太平洋戦争で日本海軍が使用した唯一の外国製の戦艦である。
艦名は、奈良県にある金剛山にちなんで命名された。

日露戦争終結2年後の1907年に建造が決定された。最初は装甲巡洋艦として計画されたが、英国が1906年に画期的戦艦ドレッドノートを完成させ、1909年にはドレッドノートよりはるかに強力な超弩級戦艦オライオン級を起工する事態に鑑み、1911年に金剛を超弩級巡洋戦艦として建造すべく計画を変更した。この当時日本海軍は1907年計画の国産弩級戦艦河内型を建造中であったが、構想や技術的に欧米に劣る点も多く認められたため、金剛は技術導入を兼ねて英国に設計・建造を依頼した。同型艦3隻は金剛の図面を元に国内で建造された。

                              - フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より -

 太平洋戦争中、最古参の戦艦であるにもかかわらず、事実上最も活躍しました。これは30.3ノットの高速が出せたためで、機動部隊の随伴艦として重宝されました。
 同級艦の比叡・霧島はガ島砲撃で勇名を馳せます。18インチ(46センチ)9門という世界一の砲力を誇りながらレイテ沖まで実戦に参加せず、大和ホテルと揶揄された帝国海軍の象徴とは大違いです。
 もっとも、燃料事情から仕方なかったという意見もありますが。