マリア・テレジア 1717年~1780年(在位1740年~1780年)
あまりにも、有名なオーストリアの女帝です。カール6世の娘として生まれましたが、父王に男子がなく彼女が継ぐことになりました。カール6世の涙ぐましい努力にもかかわらず、彼が死ぬと女子相続は認めないと周辺諸国が戦争をしかけます。ほんとに欲ぼけな連中ですが、なんとかオーストリア継承戦争でこれを認めさせます。
しかし、そのどさくさにプロイセンのフリードリヒ2世に、資源豊富なシュレジェン地方を奪われてしまいました。マリアの無念、想像できます。
彼女は、長年の宿敵だったフランスと同盟し、さらにロシアとも結んでプロイセンに対抗しようとします。これを外交革命と呼びます。7年戦争でフリードリヒを自殺寸前にまで追い込みますが、悪運強いフリードリヒはなんとかしのいで、結局シュレジェン地方は奪われたままになりました。
マリア・テレジアは、フランスのルイ16世妃マリー・アントワネットの母親としても有名です。この遊び好きの娘に対して、自戒するよう手紙を何度もおくったそうですが、不肖の娘は改める事もなく、断頭台の露と消えました。
マリア・テレジアは大勢の息子、娘をブルボン家と婚姻させたそうです。これがドイツ諸侯の反発をかい、ハプスブルグ家離れの遠因になったともいいます。
写真を何枚か載せてますが、二重顎(失礼)の中年の写真は1枚にして、若いころ(14歳)の肖像画をメインにしました。名門ハプスブルグ家の姫君らしく、勝気で高貴な顔立ちです。ちょっと惚れました。