
梁山泊とは、黄河が東流から東北に流れをかえる山東省、梁山のあたり。ここ一体は幾度もの黄河の氾濫で無数の水路と沼沢地ができていました。アウトローたちの恰好の避難場所であり、史書でも梁山を根拠地にした宋江を首領とする反乱軍の記述がでてきます。
しかし、梁山泊の地は、地図をみると北宋の首都、東京開封府から200キロも離れていません。そこに万単位の山賊あるいは反乱軍が籠もれるものだろうかと常々疑問に思っていました。
その疑問になんとなく回答らしきものが出たのは、最近読んだ「五代と宋の興亡」(講談社学術文庫)によってです。
同書によれば、宋の太祖、そして太宗は戦乱の五代に逆戻りせぬよう、科挙を改革し厳格な文民統制の統治機構を築きました。しかしそのため、必要以上に文官が増えすぎろくに仕事をしない冗官ばかりになってしまいました。さらに北の遼や、西北に興った西夏に対抗するため禁軍(宋の正規軍)の数も百万を超えます。これらが国家財政を圧迫し人民は重税にあえぎました。
神宗皇帝の時代に、王安石を抜擢して改革を目指しますが、既得権益を持つ官僚達の抵抗にあい挫折します。北宋最後の徽宗皇帝の時代には国家財政は限界に達しつつありました。
可憐追求に我慢の限界に達した人々は各地で反乱を起こします。宋江の反乱などもその一つだったのでしょう。腐敗した禁軍にはこれらを討伐する力もなく、民衆は自らを守るため有力者のもとで私兵団を結成しました。水滸伝の中でも、祝家荘や曾頭市の曾家のように万単位の私兵を蓄えた者たちが、梁山泊の対抗勢力として登場します。
これは宋という国家が統治能力を失っていた証明になるのではありませんか。水滸伝にあるような政府高官の腐敗は事実をもとにしていました。宋の時代は、中国が未曾有宇に経済発展した時代と言われていますが、同時に民力は疲弊の極みに達していたのではないでしょうか。