鳳山雑記帳はてなブログ

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中国古典の魅力(3) 史記 刺客列伝

 司馬遷史記刺客列伝において、何人かの刺客(暗殺者)を描いています。それぞれ何らかの理由をもって刺客となった者たちです。司馬遷の名文は、時に人々の心をうつ刺客を浮かび上がらせます。
 予譲という、この男の生涯も数奇でした。
 BC453年、知伯瑤は晋陽の戦いで滅亡します。全軍が韓・魏・趙の連合軍に滅ぼされる中、一人予譲だけが、信じられないほどの武勇を発揮して死地を逃れます。
 そして、復讐を誓った予譲は名を変え罪人の群れに身を投じ、趙襄子(無恤)の館に奴隷として潜入します。
 趙襄子は、散々苦しめられた知伯を恨み、その頭蓋骨に漆を塗り尿器とする辱めを与えます。予譲は厠の壁を塗る役目を引き受け、復讐の機会を待ちました。ある日、厠に行こうとした趙襄子は胸騒ぎを覚えます。調べさせると予譲を発見しました。
 趙襄子は殺そうとする臣下を抑え「義人じゃ。許してつかわせ。」と解放します。
 予譲は乞食に身をやつし、漆をぬってライ病者に見せかけます。さらに炭を飲んで声まで変えます。物乞いで自分の家を訪れても妻にさえ見破られませんでした。しかし、親友には予譲であることを見破られます。
 親友は涙を浮かべながら言いました。
 「予譲よ、お前ほどの者なら偽って趙襄子に仕え、復讐の機会を待てばよいのだ。それなのになぜ、自分を痛めつけてまでして復讐しようとするのだ?」
 「臣下となりながら主君を殺そうとするのは、主君に二心をもつことになる。自分は後世、二心をいだいて主君に仕える者を恥じ入らせるためにそうしているのだ。」
 趙襄子がある橋を通ろうとすると、馬が驚き跳ね上がりました。調べさせるとはたして予譲が橋の袂に潜んでいました。
 「予譲よ、そなたはかって范氏、中行氏に仕えていた。それを滅ぼしたのは知氏だ。なぜ知氏にだけ仇を報じようとするのだ?」
 「范氏、中行氏は私を普通の臣として遇しました。ゆえに普通の臣として報いました。しかし知氏は違います。私を国士として遇してくれました。士は己を知るもののために死し、女は己を愛でるもののために化粧す、と言います。私が国士として報いようとするのはそのためです。」
 趙襄子は涙を浮かべて、
「予譲、私はかって一度そなたを許した。知氏のために尽くしたそなたの名声は全うされた。もう許すことはできない。覚悟を決めるのだ。」
「君の寛大さは世間に喧伝されました。もはや私の思い残す事はありません。ただ、願わくば貴方の上衣を賜りたい。」
 趙襄子は、臣下に上衣を授けて渡します。受け取った予譲は三度躍り上がってこれに斬りつけました。そして満足の笑みを浮かべ、「これで私の復讐は成った。あの世で知伯さまにお伝えすることができる。」そう言うと、自ら剣を喉にあて自害します。
 これを見て、涙を流さない者はいませんでした。
 国士予譲、復讐は成りませんでしたが、その名は後々の世まで語り継がれました。