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天草四郎の埋蔵金

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 日本史のカテゴリーに書くのは気が引けますが、皆さんは埋蔵金という言葉を聞いたことがありますか?
 徳川の埋蔵金、秀吉の埋蔵金、結城家の埋蔵金などが有名ですが、わが故郷熊本にも天草四郎島原の乱の際、6キロの黄金の十字架をはじめキリシタンの金銀財宝を天草のどこかに埋めたという埋蔵金伝説があります。冷静に考えたら、生きるか死ぬかのギリギリで立ち上がったキリシタン農民にそんな財宝があるはずないのです(持ってたらそれを売って食べ物買うか、他領に逃げる時の生活資金にしろよって話です)が、在ると仮定して考えますと、今まで言われていた天草本渡から富岡に到る山道のどこかではないように思います。
 研究者の説では、古地図に三角池が載っており、川の上流か水源を比定しているようです。実際掘りに行った人もいるそうです。宝のありかを示す「さんしゃるニ、こんたろす五」と言う暗号はポルトガル語スペイン語ではないでしょうか?
 私の独断なんですが、天草四郎小西行長の旧臣益田氏の生まれだそうです。財宝があるとすれば、一揆の軍資金ではなく小西家のお家再興のための軍資金ではなかったでしょうか?それなら、おいそれと手を出せる財宝ではありません。小西家は堺の豪商出身で、秀吉の軍の物資を運んで巨富を得た家柄ですから財宝の一つや二つあっても不思議ではありません。益田氏ら小西家旧臣はお家再興を願って軍資金をどこかに隠し、ひそかに受け継いだのではないでしょうか。
 とすれば、財宝が天草にあるはずはありません。天草は小西行長に最後まで抵抗した天草五人衆のお膝元です。とすれば、財宝が隠しやすい場所で、おいそれとは見つけにくい場所。私が考えたのは、小西行長の居城宇土から天草に伸びる三角(みすみ)半島の山間部、そのどこかではないかと思います。その中で池に関係ある場所。三角(さんかく)池は、三角(みすみ)半島の池と名のつく場所か、池に関係ある場所をしめしているのでは?直感ですので根拠はありませんが。いつか本当に暇ができたら見つけにいこうかなと思っています。