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『アレシア攻防戦』 - カエサルのガリア征服 -

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 内乱の一世紀と呼ばれる激動の時代に頭角をあらわしてきたガイウス・ユリウス・カエサル。彼が共和政ローマで大きな権力を握るきっかけとなったのは、紀元前58年から前51年に渡って戦われたガリア戦争によってでした。

 同盟部族が提供した騎兵や歩兵を合わせても10万内外というきわめて少ない兵力で、現在のフランスの大部分を含むガリアの地を平定し、ともに戦った軍団を私兵化することで独裁への道を築きました。
 三頭政治によってガリアとイリリア総督の地位を得たカエサルは、ある部族を保護するために、他の部族を攻撃するという巧妙な作戦によって次々と占領地を広げていきます。しかし、反面それはガリアの人々に対ローマの戦争を意識させる事となったのです。

 紀元前51年1月、ケナブムでローマ商人を殺害したのをきっかけにガリア人たちは反乱を起こしました。反乱の指導者としてアルウェルニ族の若き王ウェルキンゲトリクスが選出され、反乱はガリア人国家対ローマという様相を呈してきます。

 カエサルは直ちに鎮圧に向かったものの、ウェルキンゲトリクスの巧妙なゲリラ戦術に悩まされゲルゴウィアで敗北します。しかし、百戦錬磨のカエサルは、反乱軍をガリア中央部の城塞都市アレシアに追い込むことに成功しました。

 ローマ軍の強みはその土木技術でした。直ちにアレシアを囲む包囲陣を築きます。このとき敵増援に備えて、カエサルは二重に防衛線を設けていました。包囲は30日以上続き城内の食料も乏しくなっていました。そんななか、43の国家24万に及ぶガリア人の援軍が到着します。
 ローマ軍はわずか5万、防御陣の内と外に敵を抱える絶体絶命のピンチです。しかしカエサルはあわてませんでした。増援軍の攻撃を冷静に対処し、背後に回りこませた伏兵との共同攻撃により増援軍を徹底的に破ります。敵軍は散り散りになって敗走しました。

 間髪いれずカエサルはアレシアに攻撃を開始します。援軍を破られ士気の上がらないガリア軍は、多くの戦闘で鍛えられたローマ兵の敵ではありませんでした。ウェルキンゲトリクスはついに降伏します。こうしてガリア平定は成ります。属州ガリアの誕生でした。

 以後、ガリアの地はカエサルの作戦根拠地として物心両面でカエサルを支えます。これによってカエサルは、ポンペイウスとの戦いに勝利し、独裁への道を歩んでいきます。なお、捕らえられたウェルキンゲトリクスはローマに連行され、カエサル凱旋式の後、処刑されました。

 ガリア人の子孫であるフランスでは、民族の英雄としてウェルキンゲトリクスを評価しているそうです。