鳳山雑記帳はてなブログ

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般若野の戦いと長尾三代

 たまたまYOUTUBEで難しい漢字の読み方を尋ねるクイズをやっており、般若が出題されていました。これを「はんにゃ」と読める人が大半だと思いますが、そういえば般若野の戦いというのがあったなと思い出したんです。過去記事でも書いた記憶がありました。

 調べてみると源平合戦中の木曽義仲上洛戦の途中に起こった戦いが一件、それともう一つ戦国時代にも同地で戦いが起こっています。

 般若野は富山県高岡市から砺波市にかけての地名です。最初の戦いは1183年5月木曽義仲軍の先鋒今井兼平軍が防衛する平家の先鋒平盛俊軍を奇襲で破ったものです。

 戦国時代にも同地で戦いがあり越後守護代長尾能景(よしかげ 上杉謙信【長尾景虎】の祖父)が、1506年10月越中一向一揆との戦いで討死しています。百年に渡って加賀を支配した加賀の一向一揆が有名ですが、越中の一向一揆も戦国大名を敗死させるほど強力だったんですね。

 実は能景の息子為景(上杉謙信の父)も、越中一向一揆との戦いに生涯を費やしました。為景の死因は不明ですが、一説では為景もまた越中で戦死したという説があります。

 為景の子上杉謙信によってようやく越中は平定されました。ただ謙信は北陸より関東に執着しており出兵数は関東の方が圧倒的で、晩年になってようやく北陸平定に乗り出します。加賀まで進出して手取川で4万とも5万とも言われる織田の大軍を撃破して、いよいよ上洛かというとき、春日山城で急死します。酒の飲みすぎによる脳卒中だと言われますが、寒冷地だけに症状が出やすかったんでしょうね。

 それだけ越中は長尾三代にとって悩みの種だったという事かもしれません。