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足利義輝弑殺の真犯人は誰か?

 例によってYOUTUBEの歴史系動画が元ネタですが、室町幕府十三代将軍足利義輝が1565年三好三人衆らに襲われて非業の最期を遂げた永禄の変というものがあります。大河ドラマでも何度か描かれたので知っている人も多いでしょう。

 私はどうする家康は全く見ていなかったので、最近で一番記憶に残っているのは麒麟がくるのシーンです。向井理演じる義輝が三好勢に囲まれて障子を立てかけられ寄ってたかって槍でめった刺しに刺されるところは衝撃でした。

 それはともかく、実際の永禄の変はこれまで松永久秀三好三人衆の共同謀議で主君でほぼ傀儡の三好義継は関与していないのではないかと言われてきました。ところが調べてみると、後世大悪人のレッテルを張られた松永久秀はこの襲撃に参加せず、久秀の嫡男久通(ひさみち)が従軍したのが分かりました。

 さらに最近の研究では、無関係と言われた三好義継本人がこの攻撃に参加していたのではないかとも言われます。ということは三好三人衆松永久秀の共同謀議ではなく、義継自身が命じた可能性が高いと思います。しかも最初から将軍義輝を殺すつもりはなく、御所巻きで義輝に将軍退陣を要求し拒否されたことから、三好軍の一部が御所に乱入しエスカレートして将軍弑殺に発展したのではないかとも言われます。

 真相は全く分かりませんが、御所巻きが暴走した結果だという解釈はなかなか斬新でした。私もその可能性はあると思います。どちらにせよ、いくら権威が衰えたとはいえ時の将軍を弑殺するという暴挙は諸大名の猛反発を喰らい三好氏の勢力を滅亡に導いた原因になったのでしょう。

 織田信長足利義昭を擁して上洛した時、それまで三好三人衆と戦争していた松永久秀、三好義継らはさっさと降伏し、三好三人衆だけが馬鹿を見る形で滅ぼされたのは、もし将軍襲撃が義継の命令だった場合哀れですらあります。

 その義継も久秀も、結局は信長を裏切り滅ぼされるのですから自業自得です。結局天下人の器ではなかったという事でしょうね。