
西洋帆船を造る場合最初にキール(竜骨)を船の中心軸になるように設置します。キールは船の外郭に合わせて下向き弓なりになりますが、そのキールに対し直角にU字型の骨組みを重ねていき、最後に骨組みの外郭に沿って板を張り付け水漏れ防止に鯨油や松脂、硫黄などから作られたコーティング材を塗って完成です。
一方、シナの代表的な船と言えばジャンク船ですが、こちらはキールがない代わりに多数の梁と呼ばれる水密隔壁で区切られています。どちらも頑丈で一長一短があり、西洋船は遠洋航海に優れジャンクは喫水の浅い海での航行に便利で耐波性に優れ、速度も同時代の西洋船の代表であるキャラックやガレオン船より速かったそうです。
ジャンクが遠洋航海に不向きかというとそうでもなく、明時代鄭和の艦隊はインド洋まで遠征しています。船の構造もそれぞれの民族性が出ていて面白いですね。
では日本の和船はどういう構造だったのだろうとふと興味を持ちました。和船の起源は丸木船だそうです。和船と言えば、古くは遣隋使船、遣唐使船、中世期には遣明船、戦国期から江戸期にかけての安宅船、関船などがあります。丸木船がルーツですから縄文時代、弥生時代にも船はあったはずですが、丸木船だと大型船にはできません。
そこでどうしたかというと、船体構造の核となる板材を底に敷き、それに沿うように外板を何枚も重ねていき大型化しました。ですから構造上そこまで頑丈ではなく、実際遣唐使船なども頻繁に遭難しています。もともとはシナの船も似たような構造だったらしいんですが、試行錯誤の末水密隔壁を多数設けることで頑丈になって行ったのでしょう。和船の先端が鋭角ではなく鈍角になっているのもそれが理由です。
和船は遠洋航海を前提にしておらず日本近海での活動がメインでしたから、船体構造に革命は起きにくかったのでしょう。嵐に遭遇したら近くの港に逃げ込めば良いだけですからね。和船は西洋帆船やジャンクに比べ衝突や座礁などの影響で水密が低下し漏水に弱いという弱点がありました。
昔元寇で元軍が台風で壊滅的打撃を受けたのは、船体構造が脆弱だったのではないかと考察したことがあったんですが、改めて朝鮮船について調べてみました。ネットでは詳しいことが分からなかったんですが、どうもジャンクのような構造ではなく和船に近い構造だったみたいです。丸木船から大型化した船は似たような経緯を辿るのでしょう。
では南宋の軍船はどうだったのでしょうか?ジャンクが普及し始めたのは宋代以降だそうで、それまではアジア共通の丸木船から発展していった似たような構造だったみたいです。ただ元代はジャンクは当然あったはずですが、南宋軍は長江などの河川での活動をメインとしていたので、凌波性に優れた船ではなかったのではないかと思いました。それが船内で疫病が蔓延した理由なのでしょう。
日本でもジャンクが無かったかというとそうでもなく、唐船という名で建造されたようです。朱印船貿易時代に唐船は建造されたし、江戸期の北前船などある程度の遠洋航海が必要な船にも唐船が使われたと言われます。