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北越戦争の帰趨を決めた官軍の新潟上陸作戦

 歴史群像2025年6月号に載っていた樋口晴彦氏の『北越戦争の帰趨を決した官軍の新潟上陸作戦』という記事は大変面白く参考になりました。

 一般に戊辰戦争の中の北陸戦争といえば長岡藩執政河井継之助の活躍ばかりが目立ちますが、河井は武装中立という非現実的な政策を掲げ失敗しただけという厳しい見方もあります。長岡藩を戦火から救いたければ官軍側に付くべきだし、徳川家に忠節を貫こうというのなら早い段階で奥羽越列藩同盟に加わるべきでした。もちろん私は司馬遼太郎の『峠』の大ファンですから河井継之助は大好きですが、歴史を公平に見た場合長岡藩は損な役回りをしたなという印象が強いです。

 本来なら徳川家に殉じるべき御三家は皆官軍側、徳川四天王のうち井伊家、榊原家、本多家も官軍に味方し、頑張っているのは庄内藩酒井家だけ。その酒井家も別流である姫路藩酒井家15万石と小浜藩酒井家10万石は官軍に転じるという状況でした。長岡藩牧野家は譜代大名ではあるものの、元々は三河守護一色氏、次いで今川氏の被官となった家ですから、そこまで忠節を貫かなくても良かったのでは?と思うんですよ。だいたい御三家まで徳川宗家を裏切っているんだから言い訳は立つはず。

 前置きが長くなりましたが、本題に戻ると小千谷会談の失敗で長岡藩は官軍と敵対し奥羽越列藩同盟に参加せざるを得なくなります。そこから泥沼の北越戦争が始まるわけですが、同盟軍は越後新潟港を補給港としプロシア商人スネル兄弟を通じて武器弾薬を輸入していました。新潟港はもともと幕府領でしたが、幕末の混乱期に越後にある天領会津藩桑名藩が幕府に要求し預領として接収していました。その領地は会津藩が飛び地領と合わせて18万石規模、桑名藩も同じく12万石規模と恐るべき勢力でした。

 新潟代官は同盟軍に支配権を明け渡し、仙台藩米沢藩が中心になって新潟港を守っていました。ここに同盟側各藩は代表者を派遣し、スネルとの武器取引をしていたのです。官軍側は早くから新潟港の重要性に気づいていました。そこで薩摩藩黒田了介(清隆)を総指揮官、長州藩山田市之允(顕義)を副将とする薩摩藩長州藩の小隊(50人)各三隊を中心とする1200人の上陸部隊を編成しました。

 上陸開始は1868年7月25日(旧暦)。上陸地点には新発田藩領の大夫(たゆう)浜が選ばれます。というのも、ここは新発田藩からの情報で同盟軍が配置されていないことが分かっていたからでした。新発田藩溝口家10万石、外様大名です。戊辰戦争では幕府側に勝ち目がないことを悟り、新政府から要請されると300人の藩兵を上洛させていました。ところが奥羽越列藩同盟が成立し周囲を敵ばかりに囲まれたことからやむなく同盟に参加します。同盟側も新発田藩を警戒しぞんざいに扱ったそうですから恨みは深かったと思います。

 新潟上陸作戦は官軍側から打診されたのでしょうが、新発田藩はこれを好機に寝返る決意をしました。官軍が大夫浜に上陸すると、一部を割き新発田城接収に向かわせます。新発田藩は抵抗もせず受け入れました。これで新潟から庄内に至る補給線が断たれます。次に新発田藩の援軍を加えた官軍は内陸部に進み新潟から会津に至る補給線も遮断しました。

 官軍別動隊は、南下して阿賀野川を渡河、途中沼垂で新発田藩兵200人を加え一部は信濃川を渡河し新潟港を西から圧迫します。29日朝、官軍が攻撃を加えると多勢に無勢、同盟軍はあっさりと崩れました。官軍が新潟港を占領したことで同盟軍はどう足掻いても勝てる見込みが無くなります。

 7月25日、長岡藩領では河井継之助の有名な八丁沖渡渉の奇襲攻撃で一時的に長岡城を奪還しますが、指揮官の山縣狂介(有朋)は手薄な長岡城で無駄な抵抗はせず要衝榎峠の線まで下がって部隊を再編しました。官軍の一部は信濃川を渡河し西岸に逃れますが、こちらも間もなく立ち直ります。

 そんな時、7月27日官軍の大夫浜上陸と新発田藩寝返りの情報がもたらされました。同盟側は驚愕します。29日、態勢を立て直した官軍は南の榎峠方面、西の信濃川方面、新潟から南下し北側から迫った部隊の三方向から挟撃、支えきれなくなった同盟軍は壊走しました。結局長岡城は奪還したものの新潟港を失い戦略的に負けていたため、こうなるしかなかったのです。

 敗走した同盟軍ですがここで悲劇が起こります。撤退戦の指揮をとっていた河井継之助が左脚に敵弾を受け負傷したのです。傷口から感染し破傷風になった河井は、会津領に入ってすぐ只見村で死去しました。享年41歳。

 結局北越戦争は新潟港の支配権を官軍が握った時点で勝負あったのでしょう。戦史において重要補給地点をいかに確保するかが全体の戦局を左右するという事実はここでも証明されましたね。