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江戸時代雄藩の表高と内高

 江戸時代、幕府の大名統制策で経済力を削がれ弱体化していったとされる各藩。それは親藩や譜代も例外ではなく貨幣経済が進むにつれ借金がかさみにっちもさっちも立ち行かなくなりました。表高より内高がはるかに高い藩でも例外ではなく、江戸時代中期には借金を返せなくなり貸し手の大阪商人や江戸商人に藩政を牛耳られるような惨状でした。

 とは言え、表高は参勤交代や江戸城内での格式、普請の負担、有事には軍役の多寡を決めるため、表高が内高より少なければ少ないほど有利なのは間違いありません。そこで各藩の上から10位くらいの表高と内高を調べてみました。といっても内高の実態は分からないことが多く、あくまで概略だと思ってください。

 長州藩は表高36万石に対し内高99万石もありますよね。薩摩藩も77万石に対し89万石。実は両藩とも借金で首が回らなくなっていたことは事実でした。ところが商人への借金を事実上踏み倒すなどの経済改革を断行し、殖産興業はいうまでもなく外国との密貿易まで行って幕末期には数十万両の余剰金を蓄えるまでになっていました。

 その有り余る金で洋式装備を買いあさり戊辰戦争勝利の原動力となったのです。一方、佐幕派の諸藩は真面目なのかそのような経済改革はできず大きな借金を抱えながら幕末を迎えました。長岡藩や庄内藩など一部例外を除いて洋式装備に完全に切り替えられなかったのもそれが原因です。

 結局、近代戦で物をいうのは経済力なのでしょうね。日本の国防を考えた場合経済成長が重要な要素となってくるのも理解できます。