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キュロス2世とマッサゲタイの女王

 史上二番目の世界帝国アケメネス朝ペルシアを築いたキュロス2世(紀元前600年ころ~紀元前529年)。現在のイラン南西部ペルシャ湾に面した小国アンシャンの王として生まれながら、宗主国メディアを倒し、現在のトルコにあったリディア、オリエントの中心だった新バビロニアを次々と滅ぼし大帝国を作り上げます。その後アケメネス朝ペルシアはキュロスの息子カンビセス2世の時代にエジプトを併合し当時のオリエント世界を統一しました。

 まさに英雄と言ってよいキュロス2世の生涯ですが、その最後は謎に満ちています。カスピ海東岸からアラル海の間に存在した遊牧民マッサゲタイ人との戦いで傷を受け戦死したと言われます。ところが後年アレクサンドロス大王がこの地に至りキュロス2世の霊廟で遺体を確認した所、死に至るような外傷は見当たらなかったそうです。キュロス2世の死に関して記したヘロドトスの『歴史(ヒストリアイ)』の記述が間違っているのか、あるいは軽傷でも毒矢か何かで死に至ったのかは謎です。

 マッサゲタイはヘロドトスによるとスキタイと同族だとも言われます。とすればイラン系遊牧民だったのでしょう。キュロス2世時代のマッサゲタイ王はトミュルスという女王でした。男系社会の遊牧民族で女王は珍しいですが、夫であった先王に先立たれ王位についていたそうです。

 オリエント世界を統一したキュロス2世は、マッサゲタイの支配を目論みます。ペルシア人も元は遊牧民族ですが、文明世界に接し都市住民となり農耕も行う半農半牧の生活形態になっていました。純粋な遊牧民より半農半牧の民族の方が長く続く統一王朝を築きやすいものです。軍事で遊牧民族的に、統治では農耕民族的というように良いとこ取りできるからです。オスマン朝然り、東洋では女真族の建てた金や清が典型です。ただその分、純粋な遊牧民族よりは軍事力が弱くなるらしく、アケメネス朝ペルシアもスキタイや北東のマッサゲタイ人などの遊牧民に悩まされます。

 ある時キュロス2世は、使者を派遣しトミュルスに結婚を申し込みました。まずは平和的に併合しようという腹です。しかしキュロスの意図を見抜いたトミュルスはこの申し出を断ります。諦めきれないキュロス2世は大軍を率いてマッサゲタイを攻めました。この時、一時停戦か講和を装ってトミュルスの息子を捕虜にしました。これを恥じた息子は自害。怒ったトミュルスは全軍を上げてペルシア軍を攻撃、激戦の末これを破ったそうです。記録では、トミュルスはキュロス2世の首を切って人血に満たされた皮袋に投げ込んだと言われます。

 しかしこれは、後年のアレクサンドロスの話からも史実ではありません。ペルシア軍がマッサゲタイ人に敗北したのは事実でしょうが、壊滅的打撃ではなく不利を悟ったキュロス2世が自ら撤退しただけなのかもしれません。実際ペルシアの損害がそれほど大きくなかったのは、帝国がキュロスの死後も拡大したことで分かります。

 このようにヘロドトスは偉大な歴史家ですが、時々矛盾するような記述があります。司馬遷史記にも似たようなところがありますが、少々の矛盾はあっても作品としての価値は落ちないと思います。