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黄河の大洪水1938年

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 東京オリンピックのおかげであまり報じられませんが、支那大陸黄河流域では豪雨による大洪水で深刻な被害が出ています。鄭州では地下鉄のトンネルが長さ4㎞にわたって冠水し6000名以上が亡くなったのでは?とも言われます。

 黄河はその名の通り上流の黄土高原から粒子状の土砂が流れ込むため黄色く濁ります。土砂は農耕に適した栄養分を含むため中流から下流にかけて肥沃な農耕地帯を形成しました。特に黄河が几状に曲がる湾曲部から東に流れを変える潼関(どうかん)付近から河南省山東省の境に至る所謂中原は黄河文明揺籃の地となります。

 ただ、黄河は暴れ川としても有名で歴史上何度も大洪水で河道を変えました。北は北京辺りから南は淮河に合流する辺りまで。その度に数十万から数百万の人命が失われます。そのため、黄河の治水に成功させた者が王朝を開くこととなります。古くは伝説の夏の兎王です。その時の大洪水は紀元前1900年ころだとも推定されています。

 兎王を苦しめた共工氏は、暴れ川黄河の象徴だとも人面蛇身で洪水を起こす水神でありそれを信仰した羌(きょう)族の事だとも言われます。どちらにしろ黄河と関係があります。羌は現在のチベット民族の源流の一つで農業と牧畜を行い古代には支那大陸各地に住んでいたそうです。ちなみに周の武王を助けて周王朝建国に貢献した伝説の軍師太公望姜子牙(呂尚)もこの羌族出身だとされます。

 黄河は通常は年間降水量1000ミリ以下で平穏ですが、河の性質上土砂が堆積し洪水を防ぐために堤防を築いたため、河川と堤防が周囲の平野より高くなる天井川になりました。ですからちょっとした雨でも堤防が決壊し少なからず被害をもたらします。今回の大洪水のように千年に一度ともいわれる豪雨に見舞われると深刻な打撃となりました。

 歴代の黄河の大洪水でどれほどの犠牲が出たかははっきりと分かりませんが、近年人為的に起こされた洪水では少なくとも数十万人(一説では100万人!)が犠牲になったことが分かっています。それは支那事変最中の1938年6月。1937年に始まった事変は徐州会戦で蒋介石国府軍(国民政府軍)の主力を取り逃がしたものの日本軍は一応の勝利を収めました。国府軍は日本軍の追撃を恐れ数万の農民を強制的に動員し黄河の堤防を破壊させました。それがまさに今回大洪水になった鄭州から開封にかけて。人為的に起こされた氾濫は河南省から安徽省江蘇省に跨る5400平方キロという広大な地域に広がります。

 その被害は深刻で被災者も600万人、この地域の農業生産にも大きな打撃を与えました。その被災民を救助したのは日本軍です。自分たちが逃げるために自国民を犠牲にした国府軍は言語道断ですが、戦後この洪水被害を日本軍がもたらしたと嘘宣伝した悪辣さは日本人の精神性では理解できません。これが大陸人の特徴なのかもしれませんが、驚きますね。これは南京大虐殺という虚構にも通じると思います。

 支那大陸では軍隊の事を兵匪と呼んで忌み嫌ったそうですが、黄河決壊の悪事を見ると納得できますね。大東亜戦争後始まった内戦で共産党軍が勝利したのは、より人民にとってましな政権だったからかもしれません。蒋介石の国民政府は黄河決壊事件などですでに人民の支持を失っていたのでしょう。その共産党政権も歴代王朝の例に漏れず近年は圧政を布いて人民を弾圧しています。王朝の命脈も長くはないと思います。それが歴史の法則通り人民の蜂起になるか外国(アメリカを中心とした西側世界)との戦争になるかは分かりませんが。

 支那大陸では歴代王朝や政府を人民が信用しないそうですが、黄河決壊事件などの悪事を見ると納得できる気がします。こういう体制が続く限り国民国家にはなり得ないのでしょう。