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アーサー王伝説とサルマタイ人

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 前記事でアーサー王伝説のモデルとなった当時のブリテンの王がいたと考察しました。

 

 ローマ帝国時代、スコットランドを除くブリテン島はローマ帝国の属州ブリタンニアでした。世界史に詳しい方ならご存知だと思いますが、属州には二種類あり比較的安定し文官でも統治できる元老院属州(元老院で総督を任命)と内政が安定しないか敵が近隣に存在し軍団が駐留し武断政治をしなければいけない皇帝属州(皇帝が総督を任命)がありました。ブリタンニアは現在のスコットランドに剽悍な山岳民族であるピクト人がいたため皇帝属州でした。そして一時は第9軍団が駐留します。

 ただローマ軍団には限りがあり、より大敵であるゲルマン人やパルティアに備えなければいけなかったので第9軍団もバルカン半島に移動しました。ではブリテン島にローマ軍が全くいなかったかというとそうでもなく、ローマの退役兵たちが建設したカムロドゥヌム(現コルチェスター)やイスカ・ドゥムノニオルム(現エクセター)、エボラクム(現ヨーク)などの植民市がありました。これらの都市は民兵を提供します。

 またローマに帰順したブリテン島各地の部族が有事には補助兵を提供する約束でした。さらにローマ帝国は傭兵を雇ってローマの正規軍団が到着するまでピクト人の侵攻や内乱に備える役割を持たせました。その一つが、イラン系遊牧民サルマタイ(サルマティア)人です。サルマタイ人は最初ドニエプル川からドン川に至る草原地帯にいました。紀元前3世紀にはオリエント世界を恐怖に陥れた黒海北岸にいた遊牧民族スキタイの衰退に付け込む形で侵略を開始し、これを滅ぼします。

 ローマ帝国イラン高原に興ったパルティアが全面戦争に突入すると、サルマタイ人は両陣営に傭兵として雇われたそうです。元来が農耕民族で騎兵戦力に不安のあるローマ側は納得できるのですが、もともと中央アジア発祥のイラン系遊牧民族であったパルティアですらサルマタイ騎兵を頼りにしたという事は、それだけサルマタイ人騎兵が精強だったからでしょう。

 サルマタイ人も遊牧民族ですから国境を接するローマ領の属州ダキア(現在のルーマニア)あたりで略奪をしていたのでしょうが、ローマ人たちは彼らに巨利を約束し傭兵として雇う事で軍事力とします。これはゲルマン人にも当てはまり、おかげでローマ軍の軍事力は上がりましたが、兵士が異民族だらけで安定しなくなります。傭兵は利益がある限り従いますが、その利益が無くなると簡単に裏切るからです。西ローマ帝国も最後はゲルマン人傭兵隊長オドアケルに476年滅ぼされました。

 さてローマ帝国が異民族を傭兵で雇う時は、部族単位でした。というのはその方が統治しやすいからです。ブリテン島に渡ったのはサルマタイ人の中でも有力部族であったアラン人だったと言われます。西ローマ帝国の滅亡は476年ですが、属州ブリタンニアはそれより早く407年には終焉を迎えます。というのも、もともとのブリテン島の住民でローマ帝国の支配を嫌ってアイルランドに逃れていたケルト人(フランスのガリア人と同族)と、スコットランド地方のピクト人の双方から侵略を受けていたからです。西ローマ帝国ブリタンニアに総督を派遣しなくなり、植民市の住民たちは自分たちで防衛しなければならなくなります。ブリテン島の住民でローマの支配に服していたケルト人部族たちも部族制を復活させ各地に部族国家が誕生しました。

 これがアーサー王登場前のブリテン島の状況です。アーサー王は5世紀後半から6世紀初めころの人だと言われます。ですからケルト人(ブリトン人)部族の長だったか、あるいは植民市の指導者で各地に残ったローマ勢力を糾合したローマ人か、あるいは傭兵としてブリテン島に渡りそのまま土着したアラン人の首長のどれかがアーサー王のモデルだと思います。

 ここで軍事力を考察した場合、一番弱いのはローマ人植民市の民兵、次がケルト人部族兵で一番精強なのは遊牧民族のアラン人だと思います。後のモンゴル帝国でも分かる通り、遊牧民族の騎兵は少数精鋭で農耕民族の歩兵(ローマ人もケルト人も主力は歩兵)がいかに多数でも太刀打ちできません。ですから可能性としてはアラン人首長説が個人的に一番納得できます。12人の円卓の騎士というのはアラン人部隊の部隊長たちだったのかもしれません。円卓の騎士という概念も平等を尊ぶ遊牧民的なにおいがします。短期間でブリテン島を統一できたという事は軍事的に優越していなければ難しいと考えます。そしてその統治が長く続かず再び群雄割拠に戻ったというのもいかにも遊牧民族らしい。

 

 こればかりは決定的な資料がなくあくまでも個人的な想像ですが、当時のことをいろいろ想像すると楽しくなりますね♪