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古代支那の兄弟の呼び方

 古代支那史に関心のない方にはチンプンカンプンだと思うのでスルーお願いします。

 俗に伯仲叔季という言葉があります。これは古代支那で兄弟の順番の呼び名です。伯が長男、仲が次男、叔は三男以下、季は末っ子を表します。四人兄弟なら綺麗に当てはまるんですが、それ以上だと叔が何人もいることになります。これとは別に長男を表す言葉に孟があります。例えば春秋時代晋で宰相となり権力を振るった趙盾。彼は家臣や部下から趙孟様と呼ばれました。

 これは伯が嫡流の長男、孟は嫡流庶流関係なくすべての兄弟の長男という意味です。ですから実質次男や三男でも正室の最初の子なら伯と呼ばれることになります。この場合孟と伯が別々に存在するということです。

 儒教の祖孔子関係の歴史書にも孔子の祖国魯の国政を壟断した三桓氏という大豪族が出てきます。三桓氏というのは魯第15代君主桓公の息子慶父(孟孫氏【仲孫氏とも言う】)、叔牙(叔孫氏)、季友(季孫氏)を家祖とする公族です。孔子の時代には魯公を挿げ替えるほどの実力を持つほどの勢力を誇りました。孔子が祖国を叩き出されたのは三桓氏と対立したからだとも言われます。

 三桓氏のうち、孟孫氏ですが桓公のあと16代を継いだのは長男荘公ですから彼が伯のはず。孟孫子の祖慶父は仲孫氏とも呼ばれます。どういうことか私なりに考えたんですが、本来は長男である慶父は母が側室だったために荘公の弟とされ次男を意味する仲孫氏と呼ばれたのかもしれません。

 魯は周の武王を助けた弟で聖人である周公旦を祖とする由緒ある国ですが、三桓氏のような公族が権力を振るうようになったため公室の力が衰え衰退したのでしょう。もともと隣国で太公望姜子牙(呂尚)を祖とする斉よりも中原に近く有利な立場にあった魯ですが、周公旦の方針である公族を大事にしすぎたために衰えました。逆に斉は太公望の方針で家臣をあまりに大事にしすぎたために権臣田氏に乗っ取られたのでしょう。

 国を保つのは本当に難しいですね。バランスが一番大事です。孔子が中庸の徳を最上としたのは祖国魯の惨状と隣国斉の行く末を見て思い立ったのかもしれませんね。何事も極端が良くないのでしょう。我々の生き方にも参考になります。