歴史上の人物を見ていくと、どうも運の良い人、悪い人がいます。実際の人生でも強運の人、不運の人に出会います。
自分が強運だ、と言う人も中にはいるでしょう。歴史上だと豊臣秀吉が強運の典型です。運命線が中指まで突き抜けていたとも伝えられています。確かに秀吉は仕える主人も信長でしたし、本能寺の変のときも一番天下取りレースの最もゴールに近いところにいました。反対に本能寺の変で信長を倒した光秀は不運でした。3日天下に終わったのは彼の運のなさでしょう。最期も土民の手にかかって竹槍で命をおとしました。
家康は幼少時不運でしたが、修養することによって幸運を呼び寄せ天下を統一します。
いったい人間に運命というものはあるのでしょうか?これから紹介する話を参考にしてください。
明の万暦年間といいますから、日本では秀吉から家康の初期ごろでしょうか。袁了凡(1533~1606)という人がいました。
早くに父を亡くし母の手一つで育てられた了凡は、進士になる夢を諦め母の勧めで医学を勉強していました。ある日、孔某という老人と出会います。人品卑しからぬ孔老人にあって、了凡は教えを請うべく何日か逗留してくれるよう頼みます。
孔老人は了凡を見て、「お前さんは今何の勉強をしておる。」と尋ねます。了凡は 医学を目指していると答えます。
すると、「是非進士に進みなされ。予備試験で○番目、2次では○番、最終試験は○番で合格するはずじゃ。官吏として成功するが惜しむらくは子がない。寿命は52歳ぐらいじゃろう。」と孔老人が言うのです。半信半疑の了凡でしたが、不思議な事にその通りに人生がすすみました。これには了凡もすっかり運命論者になってしまいます。
後年、了凡は棲霞寺に雲谷禅師を訪れます。座禅を組みまったく邪念がないのに感心した禅師が尋ねました。
「お前さんは、まったく邪念なく無心の境地で座禅を組んでいるがどうしたんじゃ。凡人とは思えんが?」
了凡はそれまでのいきさつを禅師に話します。しかしその話が終わらないうちに禅師は呵呵大笑しました。いぶかしく思った了凡が尋ねると、
「いやすまんすまん。お前さんをひとかどの人物と見込んだがまったく凡人であったわい。」と言うのです。そして顔を改めると、「たしかに孔老人がそう言ったのならお前さんの運命はその通りじゃろう。しかし、運命にまかせた生き方は凡人のそれじゃ。」
「では、運命はかえられるのですか?」という了凡の問いに「凡人は運命そのままの人生を送る。極悪の人はたとえ良い運命を持っていても業に引きずられて終りを全うしない。しかし極善の人は運命そのものからのがれられるのじゃ。」と言って功過格表なる書物を了凡に手渡しました。
「そなたが本に書いてある事を実行すれば、運命は自ずから変わるであろう。」と禅師は言ってにっこりしました。
功過格表なるものはどんなものかというと、1日の行動で例えば人を助ける五功、人の悪口を言う五過、人の命を救う五十功などと行動に善悪の価値を定め、半年、一年ごとに集計し善が悪をまさるほど幸運になっていくと書かれた本でした。中国人らしい現実的なやり方だとは思いますが、ようするに徳を積めということでしょう。
こうして了凡がどんどん善行を積み、悪行がゼロになっていくに従って予言が外れだしたのです。そして子ができないと言われていたのが、晩年になって一人授かりました。寿命も52歳を過ぎ長生きしました。
こうした不思議な体験をした了凡は、自分の子のために陰隲録(いんしつろく)をしたためます。家柄、財などは変えることができない宿命である。しかし運命は徳をつむ事によって変えることができる。これが自らの体験を基にした了凡の結論でした。
どうです。皆さんはいかが考えられます?私鳳山は袁了凡の考えに賛同します。まだ浅学菲才ですが徳を積んでいこうと日々思っています。