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「ボーア戦争」 - 大英帝国、最悪の植民地戦争 -

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 大英帝国植民地主義の悪行として、「アヘン戦争」とともに挙げられるのが、南アフリカの地で行われた「ボーア戦争」です。あきらかな侵略戦争で、同情の余地のない戦いでした。

 ところで、ボーア人とは何者でしょう。彼らは17世紀ころからケープ植民地に入植したオランダ人たちの末裔でした。1814年、ケープ植民地がオランダからイギリスに譲渡されると、イギリス支配を嫌い、さらに内陸部へ移動、1852年トランスバール共和国、1854年オレンジ自由国を建国します。
 初めはこれらを承認していたイギリスでしたが、1860年代この地に豊富なダイヤモンドと金鉱脈が発見されたことから、イギリスが両国に圧力をかけます。
 理不尽なイギリスの要求に、ついにボーア人たちが立ち上がりました。1880年から81年にかけて戦われた第1次ボーア戦争では、地の利にあかるいボーア人がイギリス遠征軍を撃破、トランスバールの独立を承認することとなります。
 大英帝国の威信は丸つぶれです。しかし植民地相ジョゼフ・チェンバレン植民地主義者たちは諦めてはいませんでした。まともな軍隊をもたないボーア人など、大英帝国正規軍を投入すれば鎧袖一触だろうと楽観していた彼らは、懲りずにまた挑発をくりかえします。

 たまりかねた両国が、1899年10月11日イギリスに対して宣戦布告、第2次ボーア戦争がはじまりました。
 このときイギリスは大きな誤算をしていました。19世紀末から20世紀にかけて大英帝国の覇権に挑戦していたドイツのウィルヘルム2世が、ボーア人たちに援助の手を差し伸べていたのです。民兵が主力のボーア人でしたが、ドイツの援助により最新式のボルトアクションライフルであるモーゼル小銃、マキシム機関銃、さらにはクルップ砲まで装備していたのです。
 イギリス軍の侮りは高くつきました。カーキ色の農作業服のボーア兵にたいして、イギリス軍はナポレオン戦争時代のような鮮紅色の軍服に身を包み、堂々たる横隊陣形で行進してきました。ボーア軍は山野に伏し、ライフルでこれを狙い撃ちしたからたまりません。目立つ色の軍服は格好の的になりました。イギリス軍は大損害をだして敗退します。
 緒戦では、イギリス軍が苦戦しました。しかし、その威信にかけても負けられないイギリス軍は、世界各地から大軍を集め、力で押しつぶそうとします。当初2万5千だった兵力は、最終的には45万にも膨れ上がっていました。1900年6月にはトランスバール共和国の首都プレトリアを占領します。

 ところが、これで決着がついたわけではありませんでした。ボーア人たちはゲリラとなって抵抗をつづけます。これに業を煮やしたイギリス軍は、ゲリラの根拠地を一掃すると称して、ボーア人の村々を焼き討ちし、一般のボーア人たちを強制収容所に送り込みました。虐待をうけ1万2千人以上の非戦闘員が殺されました。これでイギリスは世界中から非難を受けます。しかし、この残酷な政策によって、ボーア人の抵抗は弱まり1902年5月、ついに降伏しました。
 
 この戦争の犠牲者は、イギリス軍2万2千、ボーア人2万、双方から徴用された黒人兵1万4千、民間人も含めると7万以上にのぼりました。イギリスはトランスバール共和国、オレンジ自由国の併合を宣言します。これが後の南アフリカ共和国になります。
 この国はアパルトヘイト(人種隔離政策)で悪名をとどろかせますが、この国を作った張本人であるイギリスは非難する資格はありませんし、同罪であると言えるでしょう。