鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

風水にまつわる不思議な話

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 最近硬い話ばかり続いたので、ちょっと息抜きします。皆さんは風水という言葉を聞いた事があるでしょう。インテリアをあっちに移したりとか、西に黄色のものを置けばよい、とかいうアレです。
 しかし、日本で言う風水と、本場中国の風水は違います。いわば大地のエネルギーを、想像上の竜に仮託して、そのエネルギーの噴出する場所を「竜穴」と名付けます。小さな竜穴は個人の、大きな竜穴は国家の命運を左右する存在でした。実は古代には日本でも本格的風水は存在していました。藤原京平城京平安京、そして江戸さえも、こうした風水の理論から場所が選定されたのです。
 山のエネルギーである山竜は「地位」を司り、水のエネルギーである水竜は「財」を司ると言われています。詳しくは専門書に譲るとして、出典は忘れましたが私が深く印象に残った話がありますので、それを紹介しようと思います。

 「中国元代末期、安徽省のある村に朱(しゅ)という金持ちがいました。相当な地主で莫大な財産を持っていました。朱は全国から有名な風水師を何人も雇って、ある「竜穴」を探させていました。そこに墓を建てると子孫から皇帝を出すという伝説の「天子穴」でした。そんな凄いものがたやすく見つかるはずがありません。しかし何十年もの月日をかけて、やっとその竜穴が見つかったのです。老人になっていた朱は、土地の持ち主から全財産をはたいて買い求めました。そして朱老人はその地に葬られます。
 しかし、全財産を竜穴探しにつぎ込んだため、朱家は没落しました。そして、ついに一家離散の憂き目にあいます。

 何十年か経ちました。元朝のモンゴル人支配に反抗して、各地で漢民族の反乱が起こります。この老人の孫にあたる青年も反乱に加わりました。青年は、器量があったのでしょう。次第に反乱軍のなかで頭角を現します。反乱軍は頭に紅い布をつけていたので、「紅巾の乱」と呼ばれました。
 反乱軍は、青年を首領としてしだいに纏められていきます。そしてついに、元朝万里の長城の北へ追い出すことに成功します。壮年になっっていた朱老人の孫は、名を朱元璋といいました。すなわち明の太祖、洪武帝その人です。」