
戦時中、日本は世界に誇る戦艦大和や零戦という優れた兵器を登場させたのですが、戦車だけは例外でした。ご存知の方も多いと思いますが、日本陸軍の主力戦車は九七式中戦車(通称チハ車)でした。
これが、端にも棒にもかからない駄目戦車でした。1938年正式採用され太平洋戦争全般に使用、生産台数も3000両くらいあったと思います。主砲は57ミリ18口径砲。(砲口の直径が57ミリで砲身長が57*18)当然口径は大きいほうが良いし、砲身長も長いほうが強力です。特筆すべきはその前面装甲で、なんと25ミリ(装甲車か!)とペコペコの薄さです。ちなみに列強の戦車と比較すると戦車王国ドイツのパンター中戦車で100ミリ、ソ連の傑作戦車T34で70ミリただし傾斜装甲で防御力は強い。アメリカのシャーマン戦車でも88ミリ以上あります。
ドイツなら3号戦車、4号戦車と比較しろとお怒りの貴兄には、確かに初期型では30个任垢、さすがに戦争後半になると50ミリから80ミリに増大したことをお知らせします。
世界に先駆けてディーゼルエンジンを採用するなど新機軸はあったんですけどねえ。歩兵直協を主目的にし、戦車同士の戦闘は頭から抜け落ちていたんでしょうね。
チハ車は、悲劇的なデビューをかざります。1939年のノモンハン事変です。新鋭九七式中戦車はソ連戦車部隊に壊滅的打撃をうけて敗退します。それもT34や装甲の厚いKV1ならまだしも、旧式のBT7やT28に完敗したんです。こちらが撃つ57ミリ砲は、相手にかすり傷一つ負わせられないのに、向こうの長砲身の45ミリ砲(初速が速いので威力が大きい)に紙のように装甲を破られるのです。
これでは、戦っている戦車兵がかわいそうです。しかし、日本軍はなんら反省することなく太平洋戦争に突入します。ようやく自軍戦車の力不足に気付き新戦車を開発しますが、列強の戦車と対抗できる四式中戦車(75ミリ砲装備、前面装甲75ミリ)が完成したのは終戦間近、わずか6両の生産数でした。
あれだけ列強の兵器に勝る攻撃力をもった戦艦や戦闘機を作った日本が、なんでひ弱な攻撃力の戦車を作ったのでしょうか?
硬直した官僚組織のおかげで、現場の声より自分たちの都合を重視したためでしょうか?もしくは、戦艦と戦闘機に開発予算の大半をとられ、陸軍は精神力で補うから戦車は弱くても良いとの考えでしょうか?
おそらくその真相は貧乏だったからでしょうね。アメリカのように湯水のように金を使える国は開発予算も豊富だったのです。シャーマン戦車は5万両も生産されましたし。「石油の一滴は血の一滴」という戦時中の標語を思い出しました。さすがに松根油では動かないか。
日本戦車の名誉のために言うと、戦後は豊かになって61式戦車はまだしも、74式、90式と優秀な戦車を開発します。特に90式戦車は最新のエレクトロニクスを搭載し、西側標準の120ミリ滑腔砲を装備しています。(レオパルド2やM1エイブラムズと同じ)
これが実戦に使われる事のないことを祈りますが、万が一があっても戦車にかんしては安心できます。