浅井長政の裏切りで窮地に立った織田信長。しかし撤退の決断が早かったため京都に戻った時もまだ三万近い大軍を擁していました。長政は、以後歴史の主役となりえず信長、朝倉義景、足利義昭らに翻弄される人生となります。 さて信長ですが、態勢を立て直すた…
永禄十一年(1568年)九月、足利義昭を奉じた織田信長は、徳川勢浅井勢を加えた六万と号する大軍で上洛の途に付きました。義昭上洛を助けるよう越前の朝倉氏、近江の六角氏に使者を送りますが朝倉氏は無視、六角氏に至っては三好三人衆と同盟していたため露…
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