赤松氏中興の祖政則が明応五年(1496年)42歳で死去した時、嫡子がなく庶子村秀(龍野赤松氏初代)もわずか4歳でした。そこで重臣の浦上則宗、別所則治、小寺則職らは政則の後妻洞松院との間に生まれた女子「子めし」と赤松庶流七條家の義村を娶わせ、義村を…
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