鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

2013-07-07から1日間の記事一覧

三国志19   魏王曹操の死

曹操が魏公・九錫の栄典を得た時に荀彧、魏王を名乗った時に荀攸が反対し死を賜わったり迫害されて憤死したとされます。正史三国志では、そのようなことはなくただ病死したとだけ記され、どちらもその子孫は厚遇されたようですから強制的に死を賜ったり自害…

三国志18   麦城哀歌

213年魏公、216年には魏王となりますから以後曹操の勢力を魏と呼びます。劉備がついに蜀を占領したという報告は魏の曹操に衝撃を与えます。今まで根なし草だった劉備がついに安定的な地盤を得たからです。 曹操は、蜀の劉備と対抗するためにまずは橋頭堡を築…

三国志17   入蜀

馬超の役は戦乱渦巻く中原から離れ平和を謳歌していた蜀(四川省)にも少なからぬ影響を与えました。蜀は益州とも呼ばれ北に大巴山脈、東に三峡の険など周囲を急峻な山々に囲まれた方千里(支那里)の盆地。四川の名になった四つの大河が流れ太古から稲作が…

三国志16   西涼の錦馬超

正史における馬騰は、208年朝廷の命により涼州牧を返上中央で衛尉(九卿の一つ。宮門守護を司る)に任ぜられるも息子馬超が西涼において反乱を起こしたためそれに連座して殺されたとあります。 が私は馬超に反乱をおこす理由がなく、時系列的にはまず馬騰の…